ぼくは悪魔(の存在)をますます確信しているのであって、その正体もつかめてきたとおもっている。それはようするに、「愛からでない他者への関心」にもとづく向こう三軒両隣りの世間であって、その延長拡大なのである。その体質は霊界まで覆っている。此の世(あの世も入れた)は「神」とは何の関係もない、無責任で勝手な信念にもとづく決めつけと告げ口と、それにもとづく村的制裁の世界であって、その要素となっている各々が、意識自立的に自分自身に関わって自分の「神」に面して自分の道を歩んでいないことから起こる悪の世界なのである。集合容喙の源はまさにこれであり、悪魔の本質はまさにこの集合的悪思念の増長体なのである。霊界人も神とともになく、誤った神観念に服していることは此の世と同様である。そうであれば、集合容喙現象を神秘化して解釈すべきではなく、此の世の通常の悪を裁くように裁くべきであり、まず、通常の此の世の社会事件、きわめて悪質な人為の事件として、人間の法と良識と正義感のもとに、「なんとかして」、追及すべきである。この「どうにかして」の信念で、「人間をたすける」ために、ぼくはここでこの社会事件を言っている。この現象の本質の破壊性、加害性ははっきりしているのだ。


こういう正義感を共にする読者が幾びといるだろうか