395 状況に関する報告資料・補 II

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何年も経った「今」、はじめて気づいたことがまたある。件のマンションにわたしが入居当時、「私を見るなり顔を背けて逃げるように走り去る階下のおばさんがいる。」と伴侶が言うのだ。ぼくもすぐ判った。ぼくを見るなり、はっとしたように顔を曇らせて逃げてゆくのだ。勿論見ず知らずのはじめての人なので、その反応は了解不能だった。今、解った。われわれの部屋はやはり大変な部屋だったのだ。わりと親しくわれわれに口をきく別の夫人が、われわれに住居を貸した本来の持家人(一度も会わなかった)のことを、「(あの人は)ずうっと遠い処へゆきましたあ」、と何かおとぎ話でもするようにどこか非現実な雰囲気で話していたのだが、実情を理性的に認識していたのはあの無愛想なおばさんの方だったにちがいない。愛想よい好意的な夫人のほうが今不気味だ。つまりモルモットが彼から我々になっただけの話で、その事態の恐ろしさにおばさんは人間らしく顔を背けていたのだ。やはり隣室はただの部屋ではなかったと解するのが妥当だ。いまでも解らないのだが、或る種の〈洗脳〉が在り、それにかかると或る方面での現実認識がまるで出来なくなるらしい。ぼくが自分の薬害症状をどんなに近隣者に訴えても、完全に不自然な頑なさで理解しようとしないのもそれだ。彼(我々の借りた部屋の元々の住人)は、或る作用で追い出されたのか、洗脳で自ら出たのか。〈とおい地域に行ってしまった〉というあの言い方が妙に今気に掛かる。何のために?我々を迎え入れるため?われわれが知らないだけで陰の周囲は知っていたかもしれない(そういう妙な気持をいまとなって実は当時あちこちで感じたのをぼくは思い出している)。この件はひじょうに根が深そうだ。詰問すべき具体人もはっきりしている。「すべて赦せ」などと言った人物があきらかにその一人だ。他にも、何を考えているのだと思った者がいる。何か背景を知り関与していた者達だ。当時事態を感知することは不可能だった。フランスから日本の郷里に帰った時点ですでになにかができていたような気がしてならない。ぼくはかなり察知力がある。?と思うことがあった。まだ「日常」が表にあったが、ひっかかることはあった。郷里の大学で教えていたが東京で何故か空(あき)が出来、そこで教えるために件の建物を借りることに〈偶然〉なったのだが、建物以外でも、妙と思う象徴的な変事や雰囲気を感じることがあった。まともに思うとすこし気分が悪くなるような。しかし何でもないと思うこともぼくはできた〔その時は周囲が妙だとぼくに言ってきた。「あの校舎は或る理由があって使われなくなった校舎だ、それを(ぼくの授業教室に)充てるなんて、当局は気が狂ったのかと思った」、というように。よほど何かあったにちがいない〕。変だと思えることはまだあった。ぼくを講師に推す際も何か不思議な力に押されたようなことを、その恩人は打明けていた。大学以外の別の領域でも「?」と感じることはあった。きりがなく、夜が明けてしまった。魑魅魍魎の目覚める頃だ。ぼくはこれから寝る。