簡潔に書いておく。異変後、周囲のあからさまな狂態が鳴りをひそめた今でも、ぼくにとっては生活場は異変以前のような状態にはなっていないのだ。 (異変)以前は、ぼくは周囲の者達を完全に信頼することができ、安心できていた。しかし今、もうそういう状態にはもどらない。なぜなら、周囲の狂態期間、あまりにけがらわしい思いを、周囲の者達から経験したのだ。そのために、もう誰にも普通で自然な信頼も安心も持てなくなってしまっているのだ。それどころか、周囲の誰にたいしても、ひたすらけがらわしいという思いと感情しかない。積極的で和やかな雰囲気は全部灰燼に帰してしまった。ひたすら不気味で、人間性をまったく感じず、自然な「思い遣り」の気持などいだきようがない状態である。周囲の者達のいったん変わった人格は元には戻らないらしい。なにか根本的なものが「介入」している。それを、ぼくの観察した疑いようがない様子からの判断では、「悪魔」の介入、と言っている。ぼくが「悪魔」を知っていてこの概念を適用しているのではない。ぼくが周囲から経験した異常な様子そのもの自体が、ぼくに、「悪魔」とよぶしかないものの経験をさせたのである。それを形容するために「悪魔」という言葉をぼくは使っているのであり、ぼくの周囲経験そのものが、「悪魔」を定義しているのである。いまや、以前は内実に満ちていた「人間的信頼」が、もう修復しようのない「けがらわしさ」に代わってしまっているのである。「不信」どころか心の「断絶」しかないのである。異変前は、まったく良質の普通の信頼ある人間関係だったのである。それが、ああいうことを経験させられてはもう「断絶」しかない、という感情意識で周囲関係は覆われてしまった。ぼくがどういう意識(気持)で生きているか、少しは察しがつくだろうか・・・・

この信じられないおぞましい経験を、すべてはとても(おぞましくて)言葉にし得ないが、個々の具体事象を、すこしずつ言葉にすることはできる。よく伝わるよう工夫しながら、とんでもない事実をすこしでも具体的に記してゆこう。信じられないことを多量に経験したのだから(それも伝える限度がある)。




集合的容喙現象 ( 66 ) を読んでください




** 問題の具体的本質は、どうして、ぼくの純粋に自分の精神的探究を求める生の営みが、横から強制的に破壊されたのか、それはぼくの妄想でも病気でもなく、他からの人為加害であるのだから、因果関係と責任所在をつきとめ暴露し罰せよということである。いまに至るぼくの問題はすべてそこから来ているのだから。〈いわれなき終身刑〉になったぼくはその「真実」を知りたい。あの東京都新宿区の集合住宅の一角で誰が何を何のために、どういう関係の許でやっていたのか。公然たる盗聴と人体加害を。これは「事件」であると何度も言っている〔当の住宅(マンション)住居者自身の口から、どうぼくの事情が伝わったのか、「事件」という言葉が出ている。ぼくが先にこの言葉を言ったのではない。〕。