「集合的容喙現象」とぼくが独自によぶ(世で周知の)現象の難しいところは、〈異常〉と〈普通〉の境目を区別するのに、批判的判断力を要することである。〈不自然〉と〈自然〉と言い換えてよい。何が〈自然〉で何が〈不自然〉なのか、と問えば、所謂通常者でも、日頃為している自分の判断行為の根拠となる感覚の「自明性」と「思い込み」の間の区別の微妙さと或る種の困難さを想起するだろう。ぼくには、どんなに自分の判断に反省的批判的になっても、「これはぜったいに思い込みではありえない」という、「批判で濾過された自明性」をもつ〈不自然現象〉経験が無限にあるのである。これについては他者がとやかく言うことを許さない。夥しい数の被害者は、自身が洗脳で墜ちないかぎり、正常な判断を保っている。客観世界が異常なのであり、われわれが住んでいる世界はいつでもわれわれの個々にとって異常になりうる世界なのである。このことをこの異常現象はぼくにおしえた。ぼくが狂っていたら、ぼくがこの欄で書いてきたような内容をぼくが(身体的に他者が想像し難い損害を薬害で受けた状態でありながら)書けたかどうか、読者の判断におまかせする。ぼくとしては、- ほかにやることがあるのだが - その気になっているときでなければ書く気が起きない事象を、書いてしまえるかぎりここに書き留めてしまおうと思い 書いている。

すでに書いたことを繰りかえさないが、あのNHKと結びついている隣室者達によると明確に断定できる東京新宿区マンション内での「異常(異変)」が、どうしてその後ぼくの「周囲者達」と「自然現象」をも殆ど巻き込んだ広域異変へと拡大し得たのか、此の世の人間達と所謂霊界との結合作用を想定しなければ説明できない「謎」でありつづけている。わたし〔「ぼく」とか「わたし」とか、これはぼくがその時々の気分で使っているだけである〕としては、この異常の「総体」を、「魂的に是認し得ない根本的に悪なるもの」として、理性的にも実存的にも断定している。ぼくをここまで追い込んだ存在をぼくは是認しない。周囲の者達を品性皆無の言動者に、謂わば霊力技術的に変質させてしまったことによっても。そこでぼくは七生報国の魂態度で、この悪魔(これが悪でなければ何が悪なのか)を殺し尽くそうときめている。ぼくも霊であるから、霊に打ち勝つことができる。謂わば、ぼくの「神」の理念によって、創造主を殺害するのである、その本質を。そして「真の正しい神」を生むのである。さしあたって此の世では、こういう異常をぼくにたいして生じさせた具体的存在を追い詰める(霊界悪とつながっている悪である)。焦らずじっくりと。

ここにひとつの思い出話とからめて異常事象と判断できる事を書いておこう。件のマンションに居た異常前の時期である、或るひとと電話で話しているとき、聞きたくない内容のことになった。そのとき、ぼくの気持に応ずるように、電気風と形容できるような物理的雑音が電話のなかで起こり、相手の声が聞こえなくなった。これは向こう(相手)でも確認し、いまの現象は何だったのかと、やがてその〈風音〉がやんだとき話し合ったので、客観的な物理的事実なのである。おかげでその聞きたくない部分をぼくは聞かないで済んだので、「あのタイミングは…」とずっとふしぎに思い、ぼくの勝手な想像といえばそれまでだが、霊的なものを想い、「親父が聞かないでよい言葉を聞かないようにしてくれたのかな、あの世のひとはそういう電気的現象なら起こしうるかもしれない…」、と信じるのがいちばん自然なように思われていた。このことに関しては、ずっとそう思っていた。
 ところが、異変後、電話でも不自然現象を、ぼくは頻繁に経験することになる。振りかえるとき、「親父のしわざ」と思っていたあの現象と、その後様々な別の件で電話でぼくが多量に経験することになる不快で不気味な不自然現象との間の、境界が、ぼくにはもうわからない。

この電話のことだけではない 貴重な純な思い出がこうしてほとんどけがされてしまった (どういう技術と霊力によってかしらないが) 記憶のなかをほじくりまわされて


強情なぼくだから自分の精神に忠実に事実を告発しつづけている。ほかのひとなら折れてしまっている

NHKはこういうぼくになおいやがらせをしているとぼくは見做している ゆるせない

NHK責任者(達)と「集団ストーカー」と云われる魔物達の関係を暴け
そして社会的に処刑せよ