形而上的アンティミスムは愛の存在論であり、その課題は、個的主体の生を成す自由と感覚を、主体の、自己自身との存在論的絆(自己愛)においてとともに、他者との存在論的絆(他者愛)において、各々の絆の域に固有なしかたで理解し直し、このことを通して、愛という存在論的原理を、主体的な生すなわち自己との絆に拘束される生、および間主体的な生すなわち他者との絆に拘束される生の、双方において、これら双方の生の根源的通底性、連携性の理解とともに、確認することである。主体性と間主体性の問題が、このような仕方で本質的重要事となるのである。
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この節で上に紹介した本文は短文であるが、重要な諸点が凝縮して呈示されている。「愛」は、行為以前の、行為を拘束する原理、存在論的と言うべき原理であり、個の自己が自己自身に関わる場合も、他者と関わる場合も、(そこでの行為を規定-拘束-するこの原理に服することこそが個にとって充実した自由をもたらすような原理として)自己に根源的に作用するものであると想定され確信されている。「自由」と「感覚」の根本的問題探究のためには、この形而上的(作用力をもつかぎりでは存在論的)な想定が不可欠であるとわたしはかんがえる。
ヤスパースが「絶対的意識」を言う際にも支えとなっているのは同様の想定・確信である。その本質は「愛」である。