いまの知識人、戦後派知識人は、西洋・日本を問わず、全人間的人格的教養が希薄か皆無で、過去の偉大な文化人をも自分達のレベルに引き下げて〈解釈〉し、諸君の良識ある感性を惑わすことしかしていない。ぼくの欄の精神はこの閉塞状況に風穴を開け、時代に逆らって、人間の偉大さを想起させ賞揚しようとするものだ。
情感を感傷に沈み込ませず意志(知性)によって永遠化する・・祈り
台風19号 嵐の夜に
分析理論というものはえてして卑小な者に世界を合わせるのに都合よくできている。戦後哲学理論はそういうものか、あるいは漸く分析者自身を無教養的沈黙の空間へ連れ来すところ止まりのものしか生んでいない。欧州教養者の最後の哲人は、ヤスパースとマルセルである。ハイデガーやサルトルではない。そしてその後は誰もいない。どんなに〈著名者〉を挙げようと無駄である。人格的出会いなどまったく望めない。
ぼくが或る意図あって色を赤にするととたんにもっと青くと言う者がいつもいる。なにも創造しない者。けっきょく、他者への気づきに最も鈍感で、自分が処理される例となるだけなのに気づかない悟り人。率直に言って、ぼくがむかしから最も軽蔑している部類の人。
ぼくにとって、真に怒ることのできる人は、ぼくを嫌いでもぼくは敬意を懐きつづけることができる。
ほんとうに世の中というのは、内容がよいことと多数決評価とは何の関係も無いということは、客観的事実である。誰が価値を認めるのか:個人の良識力。
ぼくが一目置くのはあなたがたではない。そう、目立たなくても自己確信のある貴方だ。
情感を感傷に沈み込ませず意志(知性)によって永遠化する・・祈り
台風19号 嵐の夜に
分析理論というものはえてして卑小な者に世界を合わせるのに都合よくできている。戦後哲学理論はそういうものか、あるいは漸く分析者自身を無教養的沈黙の空間へ連れ来すところ止まりのものしか生んでいない。欧州教養者の最後の哲人は、ヤスパースとマルセルである。ハイデガーやサルトルではない。そしてその後は誰もいない。どんなに〈著名者〉を挙げようと無駄である。人格的出会いなどまったく望めない。
ぼくが或る意図あって色を赤にするととたんにもっと青くと言う者がいつもいる。なにも創造しない者。けっきょく、他者への気づきに最も鈍感で、自分が処理される例となるだけなのに気づかない悟り人。率直に言って、ぼくがむかしから最も軽蔑している部類の人。
ぼくにとって、真に怒ることのできる人は、ぼくを嫌いでもぼくは敬意を懐きつづけることができる。
ほんとうに世の中というのは、内容がよいことと多数決評価とは何の関係も無いということは、客観的事実である。誰が価値を認めるのか:個人の良識力。
ぼくが一目置くのはあなたがたではない。そう、目立たなくても自己確信のある貴方だ。