こういうことなのだ、生死の境に徹する覚悟意識のある者なら、極端に言えばどんな馬鹿をやっていても哲人であり得る。しかしいま〈幸福の道〉や〈自他の可能性の開拓〉を〈説いて〉いる者でそういう腹のある者がいるか。何をやっているかが問題なのではない。覚悟意識のある者ならそこに自ずと「秩序」なるものも現れよう。それがない者がどんな〈夢〉を言っても無責任な根なし雲のようなものだ。敗戦迄の日本の戦争指揮、その後の平和主義にも、そういう無責任さを感じる。太平洋を挟んで米国と対峙し得るようになった国が遂にこの圏域の分割統治を〈二大国〉間の計画として公言するようになった。これから、どんな反戦主義者(ぼくのような)でも覚悟のありようが試されよう。パプアニューギニア等の激戦地を経験した人の人間論幸福論を聴きたいものだ。