・・・《感覚とか感動にある「直接性」「間接性」はいくら論理的に推定しても説明できない。しかもこれから「神秘」に行くまでにはまだ非常に広く深い思索の領域がある。芸術が思想(イデー)を持ちそれを示す。さらに進んで言えば、対象となる自然そのものが思想を持っている。》・・・
「神秘」ということで先生は〈神〉を純粋感覚したいのである。これは他の文章からもあきらかである。そしてここで言う「自然」の本性は注意を要する。既にプラトン的イデアの具体的象徴の性格を帯びる自然だからである。あの自立的「夢」の性格と奥行においてとらえられている自然である。この意味での自立性が、「対象となる自然そのもの」という言表において思念されている。すなわちそれは自立的イデー(思想)を、イデアを、具有しているものとして思念されているのである。
この意味における自然と芸術との関係を本質的に言い得ていると思われるゲーテの言葉を、シュタイナーの「新しい美学の父としてのゲーテ」(『芸術と美学』所収)から引用する:
 「人間が創造した最高の自然の作品たる芸術作品は、真の自然の法則に従って生まれたものである。恣意的なもの、空想されたものはすべて崩壊する。だが、ここには必然があり、神がある」