〈本質〉を呈示する前提としてどうしても具体的記述は力がある。目的あってのことなので、読者にはいましばらく先生のすばらしい描写に付き合ってもらいたい。
《空腹はさらに私を異常にした。収容所に入ってから二ヵ月ほどは猛烈な南京虫に悩まされた。撲滅する特別の液が届いて、バラックの土台から消毒するまでは、どんな大がかりな退治をしてもききめがなかった。電灯が消えると、上から降ってくる。攻撃目標を正確に知っており、かならず首筋から胸を襲う。ぞろぞろむずがゆくなって、手でたたくと、一度に三、四匹がつかまる。むし暑い夏を、毛布で体を厳重に包み、両手に手袋をはめて、手首を紐でしばり、頭に紙袋をかぶって首のところもしばり、潜水夫みたいにして防いでも、潜入してくる。とうとう降参して、あとは食われ放題にまかせた。そのために手足にひどい潰ようを起こし、病棟に入院して、安全かみそりの刃で外科手術まで受けた。こうして、うとうとしながら手は活動していて、間断なく首や胸を叩いている。南京虫は潰すと青臭い不愉快な臭いがする。それが、美しき館の中で珍しい料理を用意しながら、ひねりつぶすと、あるものはキャラメルの匂いがし、あるものはこくのある乾酪(フロマージュ)の香りがし、また遠い日本で昔子供の頃食べた餅菓子の風味がするのであった。
 こういう状態には精神の緊張はまったくない。体質が要求する部分に接した面で、感覚が痛切に働いて、ある想像の力を生むのである。》
 これから一気に哲学的反省の中に没入する。