現在、堀を埋めているのである。読者と共に〈本質〉を味わうに至るために。
《やがて私におもしろい現象が起こってきた。体力が低下しているためであろう。一日なにも働かないのに、夜十時に電灯が消されると、日頃不眠症の私も二十分ほどで眠りに陥ちた。ひじょうな安眠である。
 そうして空腹そのものから幸福な夢が生れだす。
 私は食道楽であった。各国のうまい物、フランス中パリ中のうまい物屋を知っていた。それに自分の腕を自慢していた。毛布を頭からひっかぶって、うとうととしている中に、私はおどろくべき美味求真の献立を作りだした。精細入念に料理の品数を吟味し、それから買いだしにでかけた。選択に厳密で、パリ一流の食料品屋ばかりでなく、全国をとび歩いた。鵞鳥肝臓(フォア・グラ)葡萄酒煮詰物はストラスブール物よりもぺリギュー物でなければならなかった。牡蠣(かき)は地中海(メディテラネー)産よりもアルモリケーヌを選んだ。腸詰きゃべつ酢煮合せ(シュクルート)は東駅前(ギアール・ド・レスト)のシュルツのものでなければならず、肉は屠殺場(アバトワール)近くのパンタン門(ポルト)まで求めに行った。料理に入ると更に繊細になった。同じビフテキでも「マキシム式」と「カフェ・ド・パリ式」ではちがいがあった。ソースもパリと南仏(ル・ミイディ)とブルゴーニュでは具合がちがった。私の好みは簡潔なロワール料理を選んだ。そうしてそのどれよりもうまく私はできた。臭覚が鋭くなっているから、焼きかげんや煮かげんを匂いですぐ判断できた。葡萄酒はせんを抜く前にコルクの匂いで年代を鑑別することができた。料理の皿に応じて酒の見立てがちがうが、私はやはりブルゴーニュの赤(ルージュ)を愛した。そうして私の頭の中には、「レキュ・ド・フランス」も「ラ・レエヌ・ぺドーク」も持っていないような豊富な酒蔵ができた。》
 やはりこの人は怪物である。本領はこれからである。