絶対安静ということもあって頭をなるべく空白に保つようにこころがけている。その空白の霧のなかからおのずとたち現れてくるものがある。それはやはり同様のしいられた無為空白のなかで先生が難民収容所の蚕棚のような居場所でその自己展開する自らの夢(文字通りの睡眠中の夢)の経験を反省した、あの現象である。これはぼくのテーマのひとつであったがいままで触れたことはない。しかしいまの状態にあるいみふさわしい。これに関わることをこころみよう。あの生死の境を彷徨った集団歩行の後入れられたその空間(ラーガー)での現象である。同じ『薔薇窓』からの引用で始める(第一部VI)。
《「ここは一体どこなのだ?」
 「ヘッセン地方のカッセル山地のツィーゲンハイムってところさ」。そう言われても私に見当はつかなかった。ワイマールとハノーヴァーの中間ぐらいの山地だろうと思った。今までに幾度も来たドイツだが、地理を私はまるで知らなかった。》
 これは意外な発見である。先生は驚嘆すべき地理通として有名だからである。イタリア・フランスなど、行ったこともない土地でも既に居たかのようによく知っており、知人のガイドを何度もつとめた。
 《この日から私に一年半の収容所生活がはじまった。そうしてそれまでとはちがった経験が私を待っていた。》
 病人のつぶやきがてら、読者にはこの一年半をじっくり付きあってもらおう。