「V.存在とイデアリスム」の最後(232)は大事な諸点が示されているが、ぼくの叙述も引用における先生の言表も簡潔に過ぎる。要するに、自然は精神や魂のことは全く顧慮しない生物学的生命の専一的展開のみに終始するか、生命が物質的自然の中に入り込み自己具現する格闘として生命現象が展開する(ベルクソン)かが、「存在(実在)」に期待し得るすべてであって、美や倫理(道徳)の問題は「自然」とは別の「人間」というきわめて想念的な境域に特有の事柄であり、思想(知性)・芸術(感覚)そして「神」(純粋感覚観念)は、自然生命に自己照応させながらも(美感覚)それとは独立した内的秩序を志向する人間精神のなかにすべての淵源を求めなければならないことの気づきと会得が言われているのである。これが根源的・普遍的な「人間主義」の要諦であり、イデアリスム(「イデア」主義)と同一義である。ここに、より高次の「生」の根源を認め断定するならば、存在論的逆転である「信仰の生」がうまれる。これは「決断」によってのみ開かれる人間の可能性なのである。