《国への義務、自分からそれを果そうと思ったことはなかった。国が強制して私を罰するような場合があったら、それに黙って服従するのが、私の国へ果す義務であった。》(同Ⅱ)
《悪に抵抗しようとする決意以前に、もっと勇気と精根の要る問題がある。悪に参加しない力、国家権力に完全に無関心であれる「自分」への誠意。これは熱情の昂奮だけでは得られないだろう。なぜなら「自分」の中の、国家に属する部分の自分に対し、「自分」がまったく無関心になってしまうこと、その部分をまず「自分」から否定してしまう力が必要だから。ガンディーの「自国の自由と独立」のための無抵抗を更に転化させて、国に属する自分の部分を無抵抗にしてしまう。私は、もし国が私を動員したら、黙々として一兵卒になるであろう自分を知っていた。》(同Ⅲ)
《私は国家が丁寧に私に強要した「ベルリン落ち」に無抵抗無関心で従った。これは「自分のこと」ではなかったから。》(同Ⅲ)
解釈を排してありのままに理解しようとすることは、傍観者としての自分を拒否し、己れ自身の魂の思念行為をもって高田の魂と対面することを前提とする。魂をもってしか魂には触れ得ない。相互の共鳴としての理解は、この意味での対決の賜(たまもの)である。そしてこの「対決」は、一見逆説的であるが、自分の存在や思想を前提としてかかることではなく、相手との対話を通して己れ自身が目覚めさせられ、その対話に即して己れがかたちづくられるに委ねることである。本当の「仕事」の本質はここにある。
今の場合、私は、さきほど私の魂から発露した思念の表明に、高田が反対するとは思わない。なぜなら、彼はきっぱりと、《私の中では、もうそれら〔「自分」と「国家」〕は調和しなかった》(同)と宣明した上で、だから反逆したり革命に走る(新たな「国家」悪への没入)のではなく、権力に服従しながら権力を無視する道を選んだからである。
パリを発つ前日、親友ヴィルドラックの家で告げた高田の言葉に、彼が自らの「社会的立場」を受容するあり方が――同時に自然体の域に達した魂の品格の発露として――にじみでている。
《「頑張れば拒絶できたのだ。僕個人の安全のためなら、パリに留まった方がよいのを知っているんだが、日本の名誉のために、と言われるとね、自分ではそれに何の理由も感じないのに、自分の利益で判断するのが、なんだか不潔な気がしたのだ。やっぱり僕は日本人だから。どたん場になって、日本の新聞の代表を辞職しますとは言えない。皆といっしょに国の運命に流される方が、清潔な感じがする」》(同Ⅱ)
当日。夜出発であった。
《伴侶(アミー)はずっとふさぎこんでおり、話しかけることもあまりなかった。私は、自分の不在中の彼女の生活費を工面しなければならなかった。今まで通りの生活をつづけさせたい。私が帰ってくるまでどれほどの期間? 二年。私は心で決めた。日本陸軍事務所のS中佐に申し込んだ。あそこには国外へ持ち出せない仏貨がある。それを借りて、ベルリンへ行って、そこの新聞支局から返済させる。
「この家もそのままにしておきたまえ。女中のアデールにも暇を出さないでよい。僕が帰った時に、発った時そのままの家へ戻りたいんだ」
彼女はだまってうなずいた。
午後は彼女と二人きりで寝室に閉じこもっていた。〔…〕
「待っているね?」
彼女は私の胸に顔を埋めて、泣きだした。》(同)
〔「IV.美と倫理」ここまで〕