そのように、人間関係というものは実際には相当やっかいなもので、そのやっかいさは人間の不透明性に由来する。いざというときに、それがあきらかとなる。その不透明性の感じは今ではもっと極端に増していて、ぼくは99.9%まであきらめている。「時代は遠くなりにけり」、か。(明治生れはこんなじゃなかったそうだ。ぼくもそういう気がする。)みな、不透明な自己保身意識をかかえている。それをわきまえ合うのが99.9%の「大人」の定義らしい。「孤独」を尊重し合うのは大事なことで、ぼくもそれを強調しているつもりなのだが、ここで「大人」というのは、どうもそういう「孤独」の意味ではないようだ。全然違って、ただただ保身らしい。孤独こそは真の友との出会いの根源だが、それなしの「友」もあるらしい。ぼくには想像もつかないことだ。近年、どういう変化か、巷の子供たちが集団的に明らかに「下品」になった。どうも言動が変だ。「人間」というものへの畏れがなく、心の内に自覚や秩序が全然ないと感じる。大人も妙な言動があり過ぎた(最近、少しそれが表面的に鳴りを静めている)。魔物は時宜を見計らってそういう無自覚者を吸収して傀儡にしたり、また一時的に手を引いたりするようだ。根本的なところでは現在支配しきっている。魔物というものは絶対に責任をとらないのだ。絶対に反省しない。反省しだしたらそれはもう魔物ではなく「人間」だ。以前は皆それなりに「人間」だった。数年前から不思議なくらい反省しない魔物の傀儡となっている。魂の根本のところを支配されているのだ。これについてのぞっとする経験は無数にある。どうしてこういう世界になってしまったのか。皆、多かれ少なかれ明白におかしい現象を呈している。今では、魔物は以前からずっと存在していて、最近なにかのきっかけで表に露骨に出てきたのだ、とぼくは判断している。因果関係がはっきりしているぼくの身体のおかしさとは、全く次元の異なる霊的(それ以外に表現しようがない)なおかしさだ。