初めて投稿するので、自己紹介的にこれまでの経緯など。
結婚して5年。
すぐに子どもに恵まれると思っていた。
自分の周りでもアラフォーで出産する友人が多かったし、少し遅めの結婚をしたときも、まもなくコウノトリがやってくるさ、と、何も心配していなかった。
今、私は不妊治療を始めて4年目になる40歳だ。
30代で親になる夢が桜と共に散っていったところである。
と、同時に40歳で親になる夢が生まれたばかり。
諦めてはいない。
結婚して一年、なかなかコウノトリが来る気配がなかった。と、同じくして急に月経の様子が変化した。女は7の倍数毎に体の変化が訪れる、というが私の場合ほんとに35ぴったりで経血量がぐんと減ったのである。そのかわり、始まりも終わりもダラダラと少量の出血がある、なんだかぐでーっとした生理になった。
そんなこともあり、この変化は病気とかじゃないよね?という確認と、そろそ、新しい家族を迎えたいという相談のために婦人科の門を叩いた。
先生からは「経血量が減ったのはあまり心配ない。血液検査の結果も大丈夫。30代だし大きな病気もしてないし、取り敢えずタイミングから行ってみよう。」と言われ、一年間タイミングを取り続けた。
コウノトリは来なかった。
今度は人工授精へステップアップ。
4回トライした。
4回目の陰性判定と伝えられた時、同時に体外受精へのステップアップの提案をされた。
しますします。
その場で二つ返事です。
37歳、夫婦で体外受精の説明会に参加し、面談を受け、体外受精の治療スタート。
ここで初めて楽天的に考えられなくなる出来事が起こった。
AMHの値(卵巣年齢の目安)が46歳以上の数値だった。ゼロに近い数値。
先生は
「あくまで目安の数字。妊娠ができないわけではない。ただ、卵の残りがあなたの年齢にしては少ない。治療を急いだほうがいいよ、ということがわかったと前向きに考えて。」
と言った。
もしかしたら妊娠できないかもしれない。
その時初めてその可能性を現実として感じた。頭の片隅にあったものが、胸の中心目掛けてドーンと落ちてきた感じ。不妊治療を始めてから初めて涙が止まらなくなった。
子ども好きなパートナーに泣きながら「ごめんね」と言ったりした。心のなかが申し訳なさでいっぱいになって苦しかった。
でも諦めてはない。
そして私は検索魔に。
履歴が「AMH」「低い」「妊娠」で検索する日々が始まる。
時を同じくして出産したばかりの友人から鍼灸をすすめられ、家から通える範囲で妊活コースを掲げる鍼灸院に行ったりした。
結局思うところあってそこには通わなかったのだけど、何を思ったのかはまた別の日に。
そんなこんなしつつ、初めての体外受精に向けて注射の日々。そして採卵は、なんと4つも取れた。
4つもとれたんですよ、4つも!
AMHの低い人のブログを読んでたら一つ取れるか取れないか…と書いてあったので、まさか4つも取れるとは。
すごく嬉しくて、自分を褒めた。
しかも、2つが受精卵になってくれた。
ありがとうありがとう、パートナーのおたまじゃくしくん、先生、看護師さん、培養師さん。
みんなに感謝。
そして、その後受精卵2つとも戻すも着床せず。
改めて採卵、移植の繰り返しで、今は、先日5回目の採卵を終えたところです。
一つも卵が取れなかったこともある。
MAX採れて4個。
受精卵になる通算成績は半分ぐらい。
移植は4回行い全て陰性。
先生曰く、全て受精卵はいい状態で、年齢が少し高めとはいえ、なぜ着床しないのかわからない、と。
EMMA・ERA・ALICEも受けました。
やれることは今のところ全部やっていて、あとは本当に陽性判定を待つのみ。
ザ、着床障害です。
結婚して5年。
まさか自分が高度不妊治療を受けることになるとは全く予想していなかった。
思えば遠くへ来たもんだ。
今までブログは読むばかりで書いたことなんてなかったけれど、自分が不安な時、助けてもらったのがいろんな人のブログでした。
自分の経験が誰かの役に立つかもしれないと思って、これまでの治療のこと、検査のこと、良かれと思ってやったことなどをいくつか書いておこうと思います。