=揺れ動く心・想い=”顔が見えるコミュニケーションづくり”
人って本当に複雑な動物だと思いますね。最近こんな事例があります。交際が始まって早3ヵ月、一般的なお約束から云いますと、そろそろプロポーズの時期なのです。それが、なかなか、そうはいかないんですね。婚約してからのマリッジブルーとかがあるとは良く聞くことです。ところがそうではないんですね。人それぞれではありますが、彼女なりに精一杯の努力をしているから傍からみていて可愛そうなくらいです。マリッジブルーでなくてプレマリッジブルー?いつプロポーズなのだろうか?なかなかこちらが思うようにお相手からの最終的なアプローチがない。元を正せば赤の他人、育った家庭環境も違うでしょうし、社会人となってからの人との付き合い方もそれぞれでしょうし、そのような二人がお互いに将来を託し合うことの難しさは簡単にまとめ上げられない事は当たり前ですね。でも、二人は「一緒になろうね」とお互いの心で確かめ合った結果です。このこと自体はものすごく貴重なことだと思うんです。でも、そのような二人でも、お相手にいえないことってあるんですね。「夫婦にだって相手に言えないことってあるよ」。そこでチョッと首を傾げたくなるんですよ。何のための夫婦?客観的ないい様で云えば、「それって、ほんとうに信頼し合っていて、そうなの?」ってついつい聞きたくなってしまいます。
話はグ~ンと飛躍しますが、或るアンケート調査で、次のような面白い結果が出たそうです。
「携帯電話が普及し、インターネットが発達したことによって、職場の同僚や知人、また家族同士でもコミュニケーションの機会は、平均して20%から30%増えた。ところが人と面と向かって話しをする機会は3割強減ったというjことです。
世の中が便利になることはたいへん結構なことですが、その便利さに慣れきっててしまうと、マイナスに作用するということもある。・・・というこです。
人と人の信頼関係なんて案外希薄なものなんですね。会って話すよりメールの方が便利だ・・・と思いがちです。でも、メールでの会話は「相手の顔が見えないコミュニケーション」です。メールをしたから「理解してくれたもの」と思い込んでいたら必ずしもそうではない。
最近の若い人たちはバスの中でも歩いているときでも、レストランで食事をしているときでも、かた時も携帯を話さないで始終ケータイとのにらめっこしているようです。こんな現象の中ではコミュニケーションは密になっても、人間関係は希薄になってしまうのではないか、否、なってしまったのではないのか?とつくづく考えてしまいます。
話を戻しますが、ですから、今の若い人の人間関係つくりは電子機械を通してのみ有効なの?確かに電子メールは便利ですね。簡単にこちらの意思は届きます、しかし、相手に本当に理解しされているかどうかは別の問題っていうことなのです。云ってしまえば、「相手の顔が見えないコミュニケーション」の不確かさ、といえる気がします。メールをしたのだから「理解してくれているもの」と思い込んでいたら、実際に会って話している内に、そうではなかったことに気づく。そんな時「あなたならどうしますか?」キット裏切られた気持になり、しょっちゅう連絡を取り合っていたわりには「人が信じられない」「本当の友達がいない」という思いになってしまうのではないでしょうか。
こんな文句を書かせてくれたお二方に申し上げます「これからは、顔の見えるコミュニケーション作りに励んでください」。そうです、=メールより電話、電話より会って話す、その時は是非お茶を、時間をつくって、ゆっくりレストランでお食事を・・・=ということです。
※こんなことを云った人がいます 「人間関係は不便さの中から生まれる」と!!
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