命が宿ったのか
宿る場所を命が決めたのか。






"生きる"と決めた命は

純粋な欲望の塊だ。




細かい欲ってよりも

生きるぞっていう感じ。




産まれることも

やっぱ産まれるのやめーた

ってことも

命が自ら選んでる。



生きるわたしたちからしたら

それが考えられないことだとして、

胎という存在は

それを決めてしまう。




ってそういうことなんです。






あんなに希望に満ちていたのに、

何故だか急に不安になる。

誰かの話を聞けば聞くほど

自分の望みが薄まっていく。

 

でも、そんな事には気付いていない。

 

 

 

それらの要望、

わたしは叶えられるのでしょうか。

それらの要望、

わたしは期待に応えられるんでしょうか。

 

 

 

そこにあるのは未来への不安だけ。

 

 

 

不安を吹き飛ばす希望がそこに生まれないのは、

考えられる思考力が追いついていないから。

 

不安を吹き飛ばす希望がそこに生まれないのは、

それはあなたの希望ではないから。






胎のキーワードといえば

・多芸多才

・変化を好む

・理想を求める

・飽きっぽい




これらのキーワードは全部、






やる

やめる



がないとはじまらない!






子宮に宿るとか摩訶不思議。

科学的な証明があるのはわかるけど、

あなたどっから来たのよ!!じゃん。



そんな風にね

胎を持つ人の思考と行動って

ちょっと理解が難しかったりする。



だから

自分の考えが一般的でないことに悩み、

人の考えに合わせにいってしまい

嫌になっちゃう。



結果だけみてたら

甘えてるやつにみられちゃうよねー。





人にはそれぞれ

"世界"があっていいことを


人にはそれぞれ

"境界線"があっていいことを


そうやって経験から学んでいく。





胎の人の"悩む"という素質は

才能ですよ。

どんなことでも

考えられるんだから泣き笑い


本人としては真剣に考えた結果でも、

人が理解に困るぐらいなんだから泣き笑い







"生きる"と決めたそのままに

誰かの世界に生きるでもなく

誰かの理想を真似るのでもなく

世界を自分で作っていく。




自分が満足する

自分が夢中になる世界にしようラブ