ありのままの自分を見せることが出来ないのは、自分のなかに隠したい何かがあるから
その何かを他人に知られたら
人としてダメだ、と思われる
(という思い込み)
だから、
他者に対してありのままでいられず
何かを隠す守りに入る
自分を強く見せたり、
急にシュンと弱くなったり、
その何かを誰かに話すことは、
とても苦痛であり、難しい
否定されてしまったら
余計に傷つくからだ…
でも、このままではイヤだ!
ありのままの自分を話したい!
もしかしたら、この人なら✨
という人が現れて、
隠してた何かを話すときがきた
そして、話してみた…ら、
絶望感と怒りの渦に入った
『もう、誰も信じない…』
そう決めたはずなのに
まだ誰かを信じたい自分もいるのだ
しつこく信じたいのだ、人間を!
たくさん聞く、聞く、聞く✨✨
私は少し話してみる✨✨
たくさん話を聞く、聞く、聞く✨✨
少し話してみる✨✨
そのくり返しのなかで
この人を信じて
いいかもしれない…
そう思えるときが増えていって
『自分が尊重されてる』
のが分かる✨✨
私という人間を
多面的に見れる、受け入れてくれる
『こんな所もある、あんな所もある
んだね、面白いね』
私にとって隠したい変な部分をも含めて!
わたしは世間では変わってるかもしれない
でも、面白い人間だ✨
肯定された空気感のなかに身を置いたとき
なんて心地が良いのだろう✨✨
わたしもその人を尊重する✨✨
こんな所も、あんな所も
ある、尊敬してる、楽しいね、面白いね、
ステキだ✨✨✨
キレイな言葉を並べなくても
心が伴なえば
『あなたを尊重してる』
と必ず伝わる
それはとても自然に
穏やかな空気のなかを漂うように
ぷかぷか浮いてる雲のように
当たり前のように。
隠してた何かはわたしの一部分で
それも含めて私なのだ
その人から頂いた愛のギフト✨
隠してた何かは
もう、特別なものでなくなった
隠す必要もなくなった
ただ私の一部となってそこに在る✨
ありのままの自分
一つになった✨✨