皆様こんにちは。
今日は僕にとっては珍しく?至って真面目なお話を書こうと思う。
8月は鎮魂の月である。
8月6日は広島の原爆の日、9日は長崎の原爆の日、12日は日航機123便墜落の日、13日から16日までのお盆、その最中の今日15日は終戦記念日。
原爆の犠牲になって亡くなられた方、戦争で亡くなられた方、日航機墜落で犠牲になられた方に哀悼の誠を捧げます。
そんな中から今回は、投下されてから80年を迎えた広島の原爆について取り上げようと思う。
YouTubeでこの動画を見た。
キノコ雲の上と下~米兵の心に苦悩を刻んだヒロシマ~
日本テレビ系列のNNNドキュメントで、2004年に時間を拡大して放映されたドキュメンタリーだ。YouTube動画は日本テレビ系列の広島テレビ(HTV)がアップしている。
42分を超える映像だが、皆様にもぜひフル映像で見て欲しい。
ダイジェスト版もあるにはある。
広島に原子爆弾(原爆)を投下した、米軍の長距離爆撃機B29エノラ・ゲイ。その搭乗員と被爆者それぞれから見た原爆投下当日の話である。
飛行機から原爆を落とした米兵が抱いた感想となれば、日本が先にパール・ハーバー(真珠湾)を攻撃したのではないかとか、原爆を投下したことで戦争が終わった。戦争を終わらせるためには正しいことをしたというのだろうと思った。実際、アメリカ人、殊に退役軍人の中では、そう思っている人がいるのも事実だ。
ただ、今回は思っていたのとは違った。
B29エノラ・ゲイの副操縦士だったロバート・A・ルイスは、そんなふうには思っていない。
いったい何人の日本人を殺したのだろう。
私たちはいったい何てことをしたのだろうか。
私が100歳まで生きたとしても、この数分間の記憶が頭から消えることはないだろう。
彼はそう飛行日誌に記した。自分たちが投下した新型爆弾で、広島の街が一瞬にして消えたことに、キノコ雲の上で、そのように感じ驚愕していたのだ。
彼らは目標は広島の街中にあった第2総軍司令部だと聞かされていた。きっと新しく開発された爆弾のことについては詳しいことは聞かされておらず、いつもの空爆だ位に思っていたのかもしれない。
これを投下すれば任務が終わると思っていたのも束の間、その思いは後悔の念に変わった。
一瞬にして広島の街が壊滅的な被害を受ける様を上空から見ていた彼らこそ、一番最初に全てを把握出来た目撃者だろう。
この動画を見て僕は安心した。
〝安心〟という言葉はもしかすると、適当な言葉ではないかもしれない。たくさんの方が命を落とし、今なお原爆後遺症に苦しむ人もいる中では、不謹慎かもしれない。
原爆を落としたB29の乗組員たちは、任務を果たし、広島に大きな被害を被らせたことに、軍人として誇りに思っただろう。そう思っていた。でもそれとは違って、上空でこのように苦悩していたというのだから、その人間的な心にやはり〝安心した〟のだ。
動画の中に被爆者の一人近藤紘子さんという女性が出てくる。
広島流川教会の牧師をしていた彼女の父親谷本清牧師が、原爆の熱風を受けたことで火傷によるケロイドのある女性25人を渡米させ、治療の支援をしていたそうだ。当時のアメリカでは、彼女らのことを〝ヒロシマガールズ〟と呼んでいた。そういうケロイドに苦しむ同じ被爆者のお姉さんたちを見て彼女は米兵に対する憎しみを募らせていった。
わかったあの原爆を落とした飛行機に乗っていた人たち。あの人たちさえ落とさなければ。絶対見つけ出してパンチするか噛みつくか蹴飛ばすか。絶対して敵を打つ。
ヒロシマガールズの支援を呼びかけるため、アメリカの番組に家族で出演した時に、ゲストとして出演したのがエノラ・ゲイの副操縦士ロバート・A・ルイスだった。初め彼女はやっつけようと思った敵が目の前にいると思って睨みつけたそうだ。
ところが目にしたのは、思いも寄らぬ姿だった。彼が語ったのが〝キノコ雲の上の記憶〟
上で書いたような飛行日誌の記録である。
私たちはいったい何てことをしたのだろうか。
それを言ったあと、彼の目から涙がこぼれ落ちるのをしかと見た。私が憎むべきはあの飛行機に乗っていた人キャプテンルイスではない。私が憎むべきは戦争を起こす人間の心の中の悪。それは今でも彼に本当に感謝している。私を変えてくれた。
彼女はそう語る。
全くその通りだと思う。
広島と長崎の街で、原爆の惨禍によってたくさんの罪のない人々が犠牲になった。
それでも懲りずに、今もウクライナやガザ地区では戦争で罪のない民間人が殺されている。子供が殺されている。
人間は本当に醜い。
(執筆日2025. 8. 14)