皆様、こんにちは。
最近、暖かい日があったり雪が降ったりと変な天気ですね。それに新型コロナウィルスが猛威を奮っていて、何か殺伐とした雰囲気で嫌になっちゃいますね。
そんな中、僕も家にいるとメンタル面で良くないから、今日は晴れてはいても風がものすごく強かったのですが、ちょっと外出をして、東武日光駅まで行って参りました。
なぜ東武日光駅?
はい、それはこういうわけです。
まだそんなに遠い日でない先月の30日、東武日光駅前に、旧東武日光軌道線(クリックするとウィキペディアにリンク)の車両が、日光霧降高原 チロリン村から移設され、お披露目式が開かれたばかりなので、それに逢いに行ったのです。
その車両があるのは、東武日光駅前の東武日光路線バスのバス乗場です。
Googleマップで見てみるとこのような場所です。これは東武日光駅を検索したものなので、ポインターがそこについています。その駅前のバス乗場というわけです。
これは上のGoogleマップを拡大したものです。車両がある場所を紫色のマーカーでマークしてみました。

東武日光駅を出ると、目の前にあるバス乗場にこんなふうに車両が見えます。
(上の写真は実際は駅前の金谷ホテルベーカリーの前から撮影したものなので、駅の前から見えるアングルはもう少し違います。)

道路を渡って、バス乗場の区画に来ると、すぐ左側にその東武100形電車が静態展示されています。
ちなみに、東武鉄道の看板特急車両、東武100系電車(愛称・スペーシア)と形式名称が似ていますが、もちろん全く別物です。

道路寄りの広場縁から、アングルを変えて見てみました。こちら側の方向幕は、「日光駅」となっています。

駅から見て、時計回りに回ってみましょう。側面はこんな感じです。岡山電気軌道から、日光市に里帰りするに当たって、当時の塗装に塗り替えられました。
少し話が長引きますが、その辺の事情にも少し触れておきましょうね。
上でもリンクを張った、東武日光軌道線のウィキペディア記事を開いてもらうとそこにも書いてありますが、日光軌道線が廃止されたのは、1968年(昭和43年)2月24日のことです。
日光での役目を終えた100形車両は、岡山市の路面電車を運行する、岡山電気軌道に譲渡され、同社の3000形として長年活躍しました。
岡山電気軌道で退役間際の3000形、3010号をブログで書いている方がいたので、それをお借りしたいと思います。2回に渡って書いて下さっています。
このブログを拝見すると、長きに渡って岡山の地でも親しまれて来たんだなあということがよくわかります。丁寧に掲載いただきありがとうございます。
その岡山電気軌道でも引退することになり、運送費を持てば無償で譲渡してくれるというものを、チロリン村の山本雄一郎さんが譲り受けました。当初はチロリン村に展示していましたが、市に寄贈していただき、今回、本当のふるさとである東武日光駅前に静態保存される運びとなりました。本当にありがたいことです。
ちなみに山本さんは、天然水氷として有名な四代目徳次郎の代表も務めていらっしゃいます。
→四代目徳次郎の活動の様子を伝える日光市作成のブログ

更に回り込んで、国道(国道120号線)側を見たところです。こちら側の方向幕は、「馬返」となっています。
馬返(うまがえし)というのは、いろは坂の登り口で、当時は日光軌道線の終着駅があり、ここから明智平(あけちだいら)まで、東武日光鋼索鉄道線が通じていました。鋼索鉄道などというと仰々しいですが、要するにケーブルカーのことです。このケーブルカーも軌道線が廃止されたあと、1970年(昭和45年)に廃止されています。
今でも明智平からは明智平ロープウェイ(運営会社は東武鉄道から現在はグループ会社日光交通に移管)が、明智平展望台まで通じています。

バス乗場の広場のほうから見たところです。

バス乗場側から側面を見るとこんな感じです。当時の駅前の配線の状況はよくわからないのですが、ここから当時の国鉄日光駅(現JR日光駅)まで軌道線が通じていたので、ちょうどこの辺りが東武日光駅前の電停になっていたのかもしれませんね。

少し覗き込むように台車(車輪を構成する部分)を見てみました。

日光軌道線の歴史が書かれた案内板です。
◎参考資料
→鉄道ホビダスというサイトで日光軌道線跡各所で定点観測をした記事
→40年前の鉄道風景という個人のブログ?でしょうか。貴重な写真が満載です。
案内板に載せてある写真を僕もどこかでみたのですけど、ネットで探す限りでは見つかりませんでした。市の広報か何かで見たのかな。
それと、上の日光軌道線跡で定点観測の記事の中で、一番最初に載っている2両連結の車両は、100形とは別に運行に就いていた200形です。この車両は連接車になっています。連接車というのは、この場合は連接台車を持った車両のことを指しています。連接台車というのは2つの車両に跨がっている台車のことです。
日光軌道線では、このように、100形と200形が旅客車両として運行され、ほかにも国鉄(当時)日光駅で古河電工(古河電気工業)の貨物を受けて、清滝にある同社工場までそれを運ぶという貨物運輸も担っていました。

日光軌道線の車両は東武日光駅前のほかに、もう一編成が東武伊勢崎線東向島駅に併設されている、東武博物館にもあります。こちらは連接車の200形です。
ここからはおまけ。東武日光駅とJR日光駅も写真撮りして来ましたので載せておきます。

こちらは東武日光駅です。アルペン風の駅舎は新しいようですが、1979年(昭和54年)完成ですから、既に40年以上経つわけです。

東武日光駅改札口。今は東武線の大きな駅はそのほとんどが自動改札機が導入されています。東武線全線においてPASMO(パスモ)はもちろん、Suica(スイカ)などのIC乗車券が使えます。


こちらはJR日光駅です。鉄道ファンの間ではこちらのほうが魅力的かもしれませんね。この駅舎は1912年(大正元年)竣工の2代目駅舎ですから、こちらは何と既に100年以上経つわけです。すごいなあ。

駅の入口も独特で年代を感じさせます。

JR日光駅の改札口。もちろんこちらも駅舎はかなりレトロでも自動改札機であることはいうまでもありません。何となく写真を撮って何となく掲載していますが、停まっているのは日光線の観光車両いろはではないですか。今頃(掲載時)気づく辺り、さすがへっぽこレポーターだ

東北新幹線で宇都宮まで来て、いろはに乗って日光入りするのも楽しいですよ。東北方面からいらっしゃる方は断然宇都宮から日光線経由のほうが便利ですしね。

2階に上がる階段。2階は豪華なシャンデリアもある広間になっていて、日光駅の歴史などがパネル展示されているので、列車の待ち時間などに見学してみるのも面白いですね。入場は無料です。
こんな歴史ある素敵な車両が東武日光駅前にお目見えしました。日光軌道線の車両に逢いに皆様も日光観光にいらしてみてはいかがでしょうか。
※資料庫
2022. 3. 23 資料追加 200回記念記事にリブログするに当たって、その執筆時に見つけた資料を全て貼っておきます。上の本文とダブる物もあります。
日光軌道線のことが一番わかりやすく書かれています。
こちらは駅前や沿線の様子を写真入りで丁寧に書いています。
鉄道ホビダスというサイトで日光軌道線跡各所で定点観測をした記事
このブログは日光では有名なブログです。ブログ主さんが、チロリン村の代表に誘われて、当時岡山電気軌道で走っていた
元日光軌道線の車両を引き取りに行く話です。日光軌道線・路面電車に出会う旅というタイトルでその1~3。日光軌道・路
面電車里帰り作戦でその1日光軌道線路面電車を頂戴する旅でその1~2と相当詳しく書かれています。読み応えあります
よ。各記事へはリンク先下部で選択して飛ぶことが出来ます。
これは岡山電気軌道の属する両備グループの記事です。譲渡式の様子が書かれています。
これは個人のブログです。日光軌道線車両が一時的にチロリン村に展示された時の様子を紹介しています。
→あの車両を訪ねて 岡山電気軌道3000形3010/チロリン村
同様にチロリン村に展示されている時の写真を載せた個人のブログです。
→日本を走る鉄道車両図鑑 岡山電気軌道3000形
これも個人のブログです。岡山電気軌道で終盤の頃の元日光軌道線車両を何両か写しています。
同様に個人のブログで、正に日光に里帰りする車両が、最後に岡電で活躍する姿を載せています。
栃木県の地方紙下野新聞でチロリン村から日光市に無償譲渡されたことを伝えた記事です。
日光市のホームページの記事に飛びます。
→最後にはYouTubeで岡電で活躍する3010形の最後の頃の映像を貼ります。
(取材日:2020.4.2)