人を助けようとする際に「話す内容」を間違えている人がいる。
例えるなら、人が溺れた際に「泳ぎ方」を思い出させたり教えたりしようとしても無駄である。
まずは浮き輪か何か、捕まれるものを渡してこれ以上溺れないようにして落ち着かせる事が重要なのだ。
相手が落ち着かなければ、言葉なぞ届かない。
助けようとしているのに、何故か石を投げてくる人もいる。
気持ちは助けたいと思ってくれていても、行動がそれでは敵と判断せざるを得ない。
相手の状態を見て、どのような対処がベストなのかを選択して実行するのが正しく、
実際に私はそれを行っていたし、評価も貰っている。
その私が石を投げられたのだ…。
気持ちを斟酌しても、敵として看做すしかないではないか・・・。
私も色々と書いていて何となく気がついてきた。
友人各自に合わせた対処を施し、各自のストレスを軽減してきた。
それは、友人同士に仲良くしていて欲しい気持ちがあったからであったが、
その恩恵を受けていながら私の行動の意味を理解しようともしない連中が、
勘違いを元に私を攻撃してきた事実に対して、私が自棄っぱちになっていたのだねwww
人それぞれに合わせた対処と言うのがどれだけの労力と技術を要することなのか、
調整型でない人間には理解出来ないであろう。
そして、理解できない人間は、「八方美人」だとか「表裏のある人間」などと判断するケースが多いのだ。
こちらは下心なんか無く、そのまま仲間内の為に動いているだけなのだが・・・。
…下心なんか持っていたら、もっとズル賢く立ち回ると言う事に思いが至らないらしい。
ほんの少し…ほんの少しだけ、理解できないものを理解しようとしてみてほしい。
その疑念を持った対象の行動がどのような影響を与えているのか、客観的に見るようにしてほしい。
それを行っても見方が変わらないのであれば、それは諦めるしかないと思うが、
それを行いすらせず攻撃されたと言う現実が辛すぎるのだ。
一般的に考えてあり得ない期間・・・年単位に及ぶ期間、人の愚痴を聞いていた。
それによって私のバランスが崩れたのだ。
大本の問題を引き起こした本人達はケロッとしている。
今更そこを責めても仕方がないと割り切ったから文句を言わず彼らを受け入れていたのだが、
彼らはバランスを崩した私を受け入れる気は無かったのである。
経験則から書いておく。
人の愚痴を聞く場合、同一案件の愚痴を多数から聞くのは避けるべきである。
愚痴の聞き役になるタイプの人と言うのは、確実に居る。
その人たちは、いつも愚痴を聞くばかりである。
だからこそ、一つの事に集約して聞くのではなく、
頭を切り替えるためにも、複数の愚痴を聞いていたほうが良いのだ。
そして、少しだけ外に出すようにしよう。
友達Aの彼女の相談に乗っていた時の事。
当然、私の立ち位置はAの側なのだが、それでも彼女の話も真剣に聞いた。
彼女は彼と話をしていると「心を折られる」と言っていた。
何かをしても、全否定されてしまうのだそうだ。
…それをまさか私が食らう破目になるとは、当時は想像もしなかった。
私を受け入れない側の意見にも理がある為、私は自分が悪いと思い込んでいた。
故に、私自身を直さなければならないと思い、
その前段階として自分が考えてしまう嫌な物を吐き出そうと思ったのだ。
そのため、中心人物の友人Aが経営する店に近況報告も兼ねて寄っていたのだ。
だが、そこで「少しずつだけど、状況が落ち着いてきた」等と話そうものなら
「いや、まだまだ先は長いよ」と、僅かに見えた希望すら叩き潰されるのである。
私は、自分が悪いところだけで構成されているとすら思い込んでいたのだ。
その中でようやく見えたと思った光。
そして、それを塞がれ絶望感。経験していなくても、想像できないだろうか?
相手にその気は無くとも、否定される度に迷路の中に逆戻りさせられているのがわからないのだろうか?
自分自身を否定して、それでも他者に受け入れられてもらえそうな自分を見つけて
「これを育てようと思う(^^)」と話をしているのに、それすら潰されて…。
彼らは一体私をどうしたいのだ?
彼らの言っている事を善意的解釈をして「今までのように自然体でいて」と言っているのか?
とも思ったが、「今までの状態」でこちらの意図を知ろうともせずに非難してきたのはそちらではないか!
非難されつつも、約束事だからと愚直に実行していただけではないか!
その結果、約束事は果たしたが私はボロボロだ。
「もう非難されたくない」と思い、今まで通りの自然体で居る事が難しくなった人間にそれを言うか?
ならば、君達は何をしてくれるのだ?
私の心にある最後の信頼を頼りに話をしに行っていたのだ。
しかし、返ってくるのは否定ばかり。
もう無理だと思い「皆と離れる」と言う話をすると「それは逃げだ」と言われ、
なら逃げなければ手伝ってくれるかと言うと「そこはお前の頑張り」と言われる。
…気が付いた。こいつ、安全圏から発言してやがる。
バランスを崩して自然体でいられなくなっていたのが正しいのである。
その原因は私の心にあるにせよ、きっかけはAを中心とした彼らだ。
そんな状態であっても、何とか普通で居ようと懸命に努力していたのだ。
しかし、そんな努力は付け焼刃である。そんな事は百も承知だ。
だが、彼らは「普通でない私」を受け入れない。
受け入れられないのも仕方がないのかも知れない。
それが一般的な対応なのであろう。
ただ、私は「普通でない人も受け入れる」きていたのだが。
夜中に掛かってくる電話などにも全て対応していたのだが・・・。
私の基準を他者に当て嵌めるのは無理なことは承知している。
自他共に認める事だが、許容範囲の幅が私は他者よりも広い。
その感覚を他者に求めるのは酷であろう。
ただ、同じことをしてほしいとは思わないが、
私が行っている事を理解してほしかっただけなのである。
それですら贅沢だったのか?
第三者に私が経験してきた一連の流れと私のそれらに対するタイミング毎の思考の話をすると、
「そんな連中にそこまで関わらなくても…」と言いつつも、
私の努力を理解してもらえるのだ。
しかし、あそこの人脈は理解しない。
彼らは、私の生きてきた世間とは違う人種であるのはわかっていたが、
あまりにも違いすぎた。
例えるなら、人が溺れた際に「泳ぎ方」を思い出させたり教えたりしようとしても無駄である。
まずは浮き輪か何か、捕まれるものを渡してこれ以上溺れないようにして落ち着かせる事が重要なのだ。
相手が落ち着かなければ、言葉なぞ届かない。
助けようとしているのに、何故か石を投げてくる人もいる。
気持ちは助けたいと思ってくれていても、行動がそれでは敵と判断せざるを得ない。
相手の状態を見て、どのような対処がベストなのかを選択して実行するのが正しく、
実際に私はそれを行っていたし、評価も貰っている。
その私が石を投げられたのだ…。
気持ちを斟酌しても、敵として看做すしかないではないか・・・。
私も色々と書いていて何となく気がついてきた。
友人各自に合わせた対処を施し、各自のストレスを軽減してきた。
それは、友人同士に仲良くしていて欲しい気持ちがあったからであったが、
その恩恵を受けていながら私の行動の意味を理解しようともしない連中が、
勘違いを元に私を攻撃してきた事実に対して、私が自棄っぱちになっていたのだねwww
人それぞれに合わせた対処と言うのがどれだけの労力と技術を要することなのか、
調整型でない人間には理解出来ないであろう。
そして、理解できない人間は、「八方美人」だとか「表裏のある人間」などと判断するケースが多いのだ。
こちらは下心なんか無く、そのまま仲間内の為に動いているだけなのだが・・・。
…下心なんか持っていたら、もっとズル賢く立ち回ると言う事に思いが至らないらしい。
ほんの少し…ほんの少しだけ、理解できないものを理解しようとしてみてほしい。
その疑念を持った対象の行動がどのような影響を与えているのか、客観的に見るようにしてほしい。
それを行っても見方が変わらないのであれば、それは諦めるしかないと思うが、
それを行いすらせず攻撃されたと言う現実が辛すぎるのだ。
一般的に考えてあり得ない期間・・・年単位に及ぶ期間、人の愚痴を聞いていた。
それによって私のバランスが崩れたのだ。
大本の問題を引き起こした本人達はケロッとしている。
今更そこを責めても仕方がないと割り切ったから文句を言わず彼らを受け入れていたのだが、
彼らはバランスを崩した私を受け入れる気は無かったのである。
経験則から書いておく。
人の愚痴を聞く場合、同一案件の愚痴を多数から聞くのは避けるべきである。
愚痴の聞き役になるタイプの人と言うのは、確実に居る。
その人たちは、いつも愚痴を聞くばかりである。
だからこそ、一つの事に集約して聞くのではなく、
頭を切り替えるためにも、複数の愚痴を聞いていたほうが良いのだ。
そして、少しだけ外に出すようにしよう。
友達Aの彼女の相談に乗っていた時の事。
当然、私の立ち位置はAの側なのだが、それでも彼女の話も真剣に聞いた。
彼女は彼と話をしていると「心を折られる」と言っていた。
何かをしても、全否定されてしまうのだそうだ。
…それをまさか私が食らう破目になるとは、当時は想像もしなかった。
私を受け入れない側の意見にも理がある為、私は自分が悪いと思い込んでいた。
故に、私自身を直さなければならないと思い、
その前段階として自分が考えてしまう嫌な物を吐き出そうと思ったのだ。
そのため、中心人物の友人Aが経営する店に近況報告も兼ねて寄っていたのだ。
だが、そこで「少しずつだけど、状況が落ち着いてきた」等と話そうものなら
「いや、まだまだ先は長いよ」と、僅かに見えた希望すら叩き潰されるのである。
私は、自分が悪いところだけで構成されているとすら思い込んでいたのだ。
その中でようやく見えたと思った光。
そして、それを塞がれ絶望感。経験していなくても、想像できないだろうか?
相手にその気は無くとも、否定される度に迷路の中に逆戻りさせられているのがわからないのだろうか?
自分自身を否定して、それでも他者に受け入れられてもらえそうな自分を見つけて
「これを育てようと思う(^^)」と話をしているのに、それすら潰されて…。
彼らは一体私をどうしたいのだ?
彼らの言っている事を善意的解釈をして「今までのように自然体でいて」と言っているのか?
とも思ったが、「今までの状態」でこちらの意図を知ろうともせずに非難してきたのはそちらではないか!
非難されつつも、約束事だからと愚直に実行していただけではないか!
その結果、約束事は果たしたが私はボロボロだ。
「もう非難されたくない」と思い、今まで通りの自然体で居る事が難しくなった人間にそれを言うか?
ならば、君達は何をしてくれるのだ?
私の心にある最後の信頼を頼りに話をしに行っていたのだ。
しかし、返ってくるのは否定ばかり。
もう無理だと思い「皆と離れる」と言う話をすると「それは逃げだ」と言われ、
なら逃げなければ手伝ってくれるかと言うと「そこはお前の頑張り」と言われる。
…気が付いた。こいつ、安全圏から発言してやがる。
バランスを崩して自然体でいられなくなっていたのが正しいのである。
その原因は私の心にあるにせよ、きっかけはAを中心とした彼らだ。
そんな状態であっても、何とか普通で居ようと懸命に努力していたのだ。
しかし、そんな努力は付け焼刃である。そんな事は百も承知だ。
だが、彼らは「普通でない私」を受け入れない。
受け入れられないのも仕方がないのかも知れない。
それが一般的な対応なのであろう。
ただ、私は「普通でない人も受け入れる」きていたのだが。
夜中に掛かってくる電話などにも全て対応していたのだが・・・。
私の基準を他者に当て嵌めるのは無理なことは承知している。
自他共に認める事だが、許容範囲の幅が私は他者よりも広い。
その感覚を他者に求めるのは酷であろう。
ただ、同じことをしてほしいとは思わないが、
私が行っている事を理解してほしかっただけなのである。
それですら贅沢だったのか?
第三者に私が経験してきた一連の流れと私のそれらに対するタイミング毎の思考の話をすると、
「そんな連中にそこまで関わらなくても…」と言いつつも、
私の努力を理解してもらえるのだ。
しかし、あそこの人脈は理解しない。
彼らは、私の生きてきた世間とは違う人種であるのはわかっていたが、
あまりにも違いすぎた。