2013年07月8日
久々に日記を書く。
神経症と思われる症状を患って、既に10ヶ月。
それまで考えもしなかった負の感情との戦いがずっと続いている。
わずか10ヶ月の間に、大事な友達を何人も無くしている。
彼らは私の状態を見て
「そんな事気にしちゃダメだよ」
「みんなと仲良くしたいなら、そこからのあなたの頑張りだよ」
「もっと気楽に」
「自分に優しく」
等と言ってくれた。
彼らが私の事を思ってくれて言ってくれた言葉だ。
これらの言葉のありがたみは非常に感じている。
そして、理屈ではわかっているのだ。
だが、それを私の頭が理屈通りに受け入れないのである。
もしこれを読む人が居たら
「え?友達の言葉なんだから、普通に受け入れられるでしょ?」
「理屈でわかっているならやれば良いじゃない?」
との感想を持つであろう。
発症前の私もそう思っていたので、良くわかる。
だが、出来なくなってしまっているのだ。
ここが、健常者と神経症発症者の違いであろう。
発症するまでは全て素直に受け入れることが出来ていた言葉達。
それを受け入れる事が出来ない。
そして、それらの言葉には裏があるのではないか? 何か私を騙そうとしているのではないか?
と下衆の勘ぐりとも言うべき嫌な思考が走る。
それを「そうじゃないだろ!」と自分自身で打ち消す。
それが一日に一回とかの思考の動きであればここまで疲れないのだ。
これが「常に」なのである。
常に頭の中で湧き上がってくるマイナスの感情と、
それを打ち消す為のプラスの感情とそれに理由を付随する論理的思考。
わずか1分程度の間でも何度もわいては打ち消すの繰り返しなのである。
これが、一日中続くのだ。
気にしない、が出来ないのである。
他の事に頭を切り替えることが出来ないのである。
頭をここまで動かすと言うのは異常事態と言うことは、お分かりいただけるであろう。
これが神経症発症者の世界なのだ。
「普通」で居るために絶え間ない「努力」をしなければならないのである。
そこに費やされるエネルギーのなんと膨大な事か!
今、仕事場で「普通」を「装う」事が精一杯であり、業務終了後はホトホト疲れてしまっている。
今現在に至るまでの経緯を追々書いて行こうと思う。
そう。私の心の軌跡を描いて、そしていつか普通に戻れる事を願って・・・。
久々に日記を書く。
神経症と思われる症状を患って、既に10ヶ月。
それまで考えもしなかった負の感情との戦いがずっと続いている。
わずか10ヶ月の間に、大事な友達を何人も無くしている。
彼らは私の状態を見て
「そんな事気にしちゃダメだよ」
「みんなと仲良くしたいなら、そこからのあなたの頑張りだよ」
「もっと気楽に」
「自分に優しく」
等と言ってくれた。
彼らが私の事を思ってくれて言ってくれた言葉だ。
これらの言葉のありがたみは非常に感じている。
そして、理屈ではわかっているのだ。
だが、それを私の頭が理屈通りに受け入れないのである。
もしこれを読む人が居たら
「え?友達の言葉なんだから、普通に受け入れられるでしょ?」
「理屈でわかっているならやれば良いじゃない?」
との感想を持つであろう。
発症前の私もそう思っていたので、良くわかる。
だが、出来なくなってしまっているのだ。
ここが、健常者と神経症発症者の違いであろう。
発症するまでは全て素直に受け入れることが出来ていた言葉達。
それを受け入れる事が出来ない。
そして、それらの言葉には裏があるのではないか? 何か私を騙そうとしているのではないか?
と下衆の勘ぐりとも言うべき嫌な思考が走る。
それを「そうじゃないだろ!」と自分自身で打ち消す。
それが一日に一回とかの思考の動きであればここまで疲れないのだ。
これが「常に」なのである。
常に頭の中で湧き上がってくるマイナスの感情と、
それを打ち消す為のプラスの感情とそれに理由を付随する論理的思考。
わずか1分程度の間でも何度もわいては打ち消すの繰り返しなのである。
これが、一日中続くのだ。
気にしない、が出来ないのである。
他の事に頭を切り替えることが出来ないのである。
頭をここまで動かすと言うのは異常事態と言うことは、お分かりいただけるであろう。
これが神経症発症者の世界なのだ。
「普通」で居るために絶え間ない「努力」をしなければならないのである。
そこに費やされるエネルギーのなんと膨大な事か!
今、仕事場で「普通」を「装う」事が精一杯であり、業務終了後はホトホト疲れてしまっている。
今現在に至るまでの経緯を追々書いて行こうと思う。
そう。私の心の軌跡を描いて、そしていつか普通に戻れる事を願って・・・。