現在80代の母と、なるべく電話で話すことにしている。

母は体も気持ちも元気なのはありがたい一方、

相変わらず「私、私、私の話」で、少しげんなりする。

 

通常でも年を取ってくると

自己中心的な自分語りが長くなるからこれは普通の範疇なのだろうか。

 

げんなりする自分はトラウマから相変わらず自由に

なれていないのかな。

 

それともやっぱり母への絶望を改めて感じたせいなのだろうか。

 

子どもの頃から「あなたはどうなの?」とか

「どう思う?」は聞かれたことがない。

 

幼い頃、「ママ、あのね、 ○○が△△で…」と話そうとすると、

「あ〜そうなの、そういえばママは○○で△△で、 □□で、」と、

結局私の話は無くなって、ママの話になってしまうのだった。

 

母は、華やかで明るく女らしく、快活で感情表現が豊かで

話か方も抑揚があって、第三者的に見ると

ファーストインプレッションは

かなり魅力的に見えるだろう。

今より60歳くらい若かったらインスタ映えするタイプかもしれない。

 

女らしさに違和感を感じていた私は圧倒されて

別に私の話なんてしなくていいか、と感じてきたのだと思う。

 

父は元より、会話そのものがない。

 

 

 

そんな訳で、私は説明や主張はできるものの、

感情、特に「嬉しい」「怖い」「悲しい」は

人に話してこなかった。

 

と、言うか、人に自分の感情を知られたくなかった。

どんな気持ちでいるか人に知られるのは

すごく恥ずかしいと思ってきた。

 

だから誰とも感情について分かち合えなかった。

 

ホルモンがたくさん分泌されてた年代は、

男性とlove affairsもたくさんあって、

確かに戯言は口にしたけど、

感情のキャッチボールとしてどうなんだろう。

 

今振り返ってみると、

伝える、と言うよりはコントロールの武器だったのかも。

 

「好き」「愛してる」と言っとけば

安心を手に入れられる。とか。

 

こうなりたい自分の一部が現実化している男性が好きだったから。

振り返ってみると私は相手を通して自分語りをしていた

だけな気がする。

 

 

ここ3年ほどでようやく「嬉しい」とか「素敵」とか

ポジティブな感情を表現できるようになったけど、

まだ頑張ってやっている最中。

 

長年やってきた習慣、人に感情を見せないとか

自分の気持ちを抑える、を変えるのは難しい。

さて?

 

変えなければ?

仕事に支障が出るからそれは生存の恐怖。

元々は仕事がうまくいかず何が問題なんだろう?と

あれこれ探していた時に、人と話してて気づいたこと。

 

変えないメリットは?

ラク。

 


さて。と、人に気持ちを伝えられない問題を考えると

私は変える方を選んでるんだろうな、既に。

 

なぜなら課題を課題として捉えて

あれこれ考えてしまっているのだから。