3歳になるかならないかだったけど、

小指がもげてしまった時のことはよく覚えてる。

 

今、気づいた!3歳のお誕生日写真の私の左手がこんな包帯巻!

 

当時住んでいた東京麻布にある社宅アパートの外階段の周りで

私は同じくらいの年齢の子たちと遊び、私のママも含めその母親が近くで

おしゃべりに興じていた。

 

雨上がり。途中で他の子は短靴に履き替えさせてもらったのに

私だけ長靴のままだった。かっこ悪い。。。

 

「ママ、長靴にして」とおしゃべりするママのところへ言ったが

とりあえってくれなかった。

 

「いいもん、自分で短靴探す」と思い、家の玄関の靴箱に向かった。

何も考えずに玄関の鉄製のドアのあたりに手をかけてかがみこんでゴソゴソ探していたら、風が吹いてきてドアがバタンと締まった。

 

「ぎゃー」という悲鳴を上げたあたりは覚えていないけど、

指から泡状の血が吹き出していた(つまり動脈血だったってこと)のは覚えてる。

 

悲鳴を聞いて飛んできたママが素早くきれいなハンカチで指を縛って止血しながらタクシーで病院へ向かった。

きれいなハンカチがみるみる血で染まっていくのが、自分が悪いような心持ちで車内で眺めていた。

 

後から何度もママがから聞いた話では、指がドアに挟まれて第一関節からもげてしまい皮一枚でぶら下がっていたそうだ。

 

すぐに病院へ行き縫ってもらってその後第一関節はくっついた。

 

この事件は何度か聞かされているけど、ママの武勇伝として語られている。

 

「ママは若い頃、看護助手をしていたから落ち着いて素早く対応できた。だからあんたの指がちゃんとくっついたのよね」

 

そして私は「言うことを聞かなかった悪い子」「わがままをしたから罰が当たった」感覚がくっついてしまった。


私が大人になった今、もし逆の立場だったら「ママがちゃんと見てあげなくてごめんね」と自責の念が強くていたたまれないだろうなと思う。

その感覚が無いママっておかしくない?と感じたのはようやく最近のことだ。

 

最初に短靴に変えてくれてたらこんなことにならなかったのに、という「怒り」が実はずっとあったと思う。ママは私を守ってくれない。パパはママに任せきりでやはり私を守ってくれなかった。

無意識で「怒り」にフタをしてきて、フタをしてきたことにも気づかず何十年も生きづらさを抱えてきたんだな私。

 

 

 

ここまで書いて今思ったことだけど、当時住んでたのは1階、少なくとも2階だったのか。外階段から振分で2世帯ずつ入るようなタイプのアパートだった気がする。

 

これが3階以上なら私は短靴に履き替えることを諦めていたか、

ドアに挟まれて悲鳴をあげてもママは気づくのが遅くて私の小指はどうなっていたのかな。