「薔薇がお好きなんですね、」
お客様から声をかけられました。
「何で知っているにかしら」と、いぶかしい顔をしていたのでしょう、
「ホームページを見ました。」と言ってくださいました。
感激!!!
見て下さっているのだー、それからは大変!薔薇モードにスィッチが入り、
薔薇好きにしか通じない薔薇園の話やオールドローズの話やら、
仕事そっちのけで ”薔薇談義” 素敵なひと時でした~
薔薇は手間が大変でしょとよく言われますけど、確かに! でも薔薇は裏切らない。
忙しくて面倒をみれなくて、ごめんなさいしても、必ず咲いてくれる。
確実にこちらと会話してくれる。
だからこちらも本気になるのです~~~ きっと。
*****
佐藤恵子の白髪ファッションを見てくださってありがとう。
ファッションに対する知識の深さを買われて、広告代理店へ。
25歳のとき(1971年)、
「クライアントにアパレルメーカーがあるが、社内に誰もファッションをわかるものがいない。来て欲しい」と、
広告代理店から誘われて、そちらに移りました。
その頃全盛だったアパレルメーカー「鈴屋」のさまざまな企画にも関わり、
たとえば、「鈴屋」がパルコのなかに出店するときにたずさわったりしました。
ファッションショーの企画も………。いろいろやって、気が済んだのか、
女性としては当時いちばん幸せなかたちで(笑)、結婚を機に退社しました。
ファッションの世界の最先端にいた私でしたが、13年間の主婦生活で
”地に足がついた”おしゃれを考えるようになりました。
退社してから13年間は、子育てと家事に専念。
そのあいだも「おしゃれであること」をずっと心がけていたけれど、
結婚すると違うのが、現実的な食費や教育費といったお金のやりくりが、新たに必要になってくること。
「いまさらヴィトンじゃないわよね」と言っているような、ファッション界の最前線にいた私に、
生活する主婦の感覚が加わって、おしゃれに対する考えかたも変わってきます。
ちょうど子育てが一段落したころ、ブティックをオープンするというラッキーにも恵まれて、
「年を重ねた女性の魅力をひきたてる、しかも主婦が納得のいく価格の服」を提案したい、
という気持ちで 「Key’s] を始めました。
* * *
佐藤恵子の白髪ファッションをみてくだっさって、ありがとう。
25歳のとき(1971年)、
「クライアントにアパレルメーカーがあるが、社内に誰もファッションをわかるものがいない。来て欲しい」と、
広告代理店から誘われて、そちらに移りました。
その頃全盛だったアパレルメーカー「鈴屋」のさまざまな企画にも関わり、
たとえば、「鈴屋」がパルコのなかに出店するときにたずさわったりしました。
ファッションショーの企画も………。いろいろやって、気が済んだのか、
女性としては当時いちばん幸せなかたちで(笑)、結婚を機に退社しました。
ファッションの世界の最先端にいた私でしたが、13年間の主婦生活で
”地に足がついた”おしゃれを考えるようになりました。
退社してから13年間は、子育てと家事に専念。
そのあいだも「おしゃれであること」をずっと心がけていたけれど、
結婚すると違うのが、現実的な食費や教育費といったお金のやりくりが、新たに必要になってくること。
「いまさらヴィトンじゃないわよね」と言っているような、ファッション界の最前線にいた私に、
生活する主婦の感覚が加わって、おしゃれに対する考えかたも変わってきます。
ちょうど子育てが一段落したころ、ブティックをオープンするというラッキーにも恵まれて、
「年を重ねた女性の魅力をひきたてる、しかも主婦が納得のいく価格の服」を提案したい、
という気持ちで 「Key’s] を始めました。
* * *
佐藤恵子の白髪ファッションをみてくだっさって、ありがとう。
本物を見ることができた。その経験がいま生かされている、
輸入婦人服地バイヤーとして仕事をした時代。
私のやりたい仕事は、3つありました。ジャーナリストと、福祉関係と、デザイナー。
いろいろ考えてデザインの学校に入り、インテリアを学びました。
それだけでは物足りなくて、テキスタイルの学校に入って美しい布について学びました。
そこで、「ファッションを仕事にしたい」と思い、輸入婦人服地の会社に就職しました。
そこでの仕事は、バイヤー。
商品企画に合わせて服地を買い付ける仕事です。
どういうわけか、弱冠23歳にして(1969年)ヨーロッパに生地を買い付けに行くチームの一員に
私が抜擢されたのです。
イブ・サンローランやクリスチャンディオールが実際に使う生地をじかに見て触って、
本当に興奮しました。
そして、何より忘れられないことが、働く女性の圧倒的な美しさ。すごくすてきでした。
それ以来ずっと、ヨーロッパの女性の働く姿は、私の目標です。
最近、「すてきね」人から言っていただく機会が増えたところをみると、
私もやっと、理想の女性像に近づいてきたのかしら?なんて考えたりします。
君島一郎さんや鈴木憲夫さんに服を作ってもらう仕事をしたり、
お客さまに、その時の流行と、服地の効果的な生かし方を直接アドバイスしたり、
いまの仕事にずいぶん役立つたくさんのことをこのとき体験したように思います。
* * *
佐藤恵子の白髪ファッションを見てくださってありがとう。
輸入婦人服地バイヤーとして仕事をした時代。
私のやりたい仕事は、3つありました。ジャーナリストと、福祉関係と、デザイナー。
いろいろ考えてデザインの学校に入り、インテリアを学びました。
それだけでは物足りなくて、テキスタイルの学校に入って美しい布について学びました。
そこで、「ファッションを仕事にしたい」と思い、輸入婦人服地の会社に就職しました。
そこでの仕事は、バイヤー。
商品企画に合わせて服地を買い付ける仕事です。
どういうわけか、弱冠23歳にして(1969年)ヨーロッパに生地を買い付けに行くチームの一員に
私が抜擢されたのです。
イブ・サンローランやクリスチャンディオールが実際に使う生地をじかに見て触って、
本当に興奮しました。
そして、何より忘れられないことが、働く女性の圧倒的な美しさ。すごくすてきでした。
それ以来ずっと、ヨーロッパの女性の働く姿は、私の目標です。
最近、「すてきね」人から言っていただく機会が増えたところをみると、
私もやっと、理想の女性像に近づいてきたのかしら?なんて考えたりします。
君島一郎さんや鈴木憲夫さんに服を作ってもらう仕事をしたり、
お客さまに、その時の流行と、服地の効果的な生かし方を直接アドバイスしたり、
いまの仕事にずいぶん役立つたくさんのことをこのとき体験したように思います。
* * *
佐藤恵子の白髪ファッションを見てくださってありがとう。