第4場 1945年9月20日 アメリカ東部時間(EST Eastern Standad Time GMT-5)1時00分 オハイオ州クリーブランド市 スカイビュー・モーテル

時刻は夜中の午前1時、゛コージ君゛と赤ちゃんとわたしの奇妙な三人?連れはクリーブランド市郊外の高速道路のインターチェンジからさほど遠くない別な幹線道路沿いにあるモーテルに出現した。平屋だが寝室の天井がガラス張りになっていて晴れた夜であれば寝っころがりながら天空の星を眺めて楽しめる文字通りのスカイビューで市内でも人気上位のモーテルだ。あらかじめオハイオ州在住のグレゴリー・ジョンストンというありふれた名前で予約をし、チェックインしておき窓にも鍵をかけ、カーテンを下ろして部屋の扉の外側のノブに゛ただいま睡眠中につきノックしないでください。゛というモーテル備え付けの札を下げておいた。
今回の仕事は実に下準備が多く、今日はかなり疲れてる。いつもどおり夕方5時にバーに出勤して昼間の店長から仕事を引き継いだ後、ほんの数分倉庫のお酒の在庫調べをしてくるという口実でバーテンダー助手に店を任せて店の奥の秘密部屋に行き、何回も時空を飛んだ。
1963年のマンションに行って部屋に置いてあるの品物をチェック、それから最も重要なことは現れる予定の場所の片付け。緯度、経度、地上からの高さはマイコンに正確に入力して飛んでいくので椅子とかが予定地にあると怪我をしてしまう。特に連れがいる場合は細心の注意を払う。
ただ、この部屋は作戦拠点としてたびたび訪れているので充分片付けは済んでおり今回の事前の移動時も問題なく出現できている。ただ例によって゛念には念を入れろ゛の教えに従って下見をしておくことは必要なのだ。それから外へ出て公衆電話ボックスを探し出して備え付けの電話帳からあの病院の電話番号を見つけ面会時間の確認をした。一年後ではあるがそう変わるものではないから大丈夫だ。それからこの1945年に飛び、まずレンタカー屋に行き、そこからスカイビュー・モーテルへ予約の電話を入れてから借りた車で先にスーパーマーケットへ行き、サービス・ステーション(petrol station)に立ち寄って営業時間の確認をして、更に孤児院を下見してからスカイビュー・モーテルチェックインし、セッティングしてからその部屋から起点である1970年のバーへ飛び戻った。

わたしが前線勤務をしていた若い頃、主な任地はアメリカの他はイギリス、アイルランドでアジア圏に行ったことはなかった。秘密時空保安局職員の東アジア担当の同僚と宴席で隣り合わせになったとき例の言葉の変遷の話で盛り上がったことがあった。その同僚は日系三世で日本語も少し理解できるためさまざまな時代の日本に飛んでいった経験があり、日本での言葉の意味合いの違いに驚いたという話をしてくれた。その中で特に印象深ったのがこの゛モーテル゛だった。
アメリカあたりでは特に年代に関わらず゛モーテル゛はMotor Hotelの略称なので車が部屋の前までつけられるタイプのホテルのことでこの言葉が違う意味を持っている場合があるとは知らなかった。その同僚が1970年代から1990年代あたりの日本を何度か訪れた際、郊外の幹線道路付近で゛モーテル゛が乱立していてお城の形をしていたり、けばけばしい色で装飾が施されていたりとかなりの違和感を覚えたため、臨席していた親しい日本人女性に尋ねたところ顔が赤らみ明確な返事をもらえなかったと苦笑していた。仕方なく後日ひとりで車で行って利用してみようとしたところホテルのフロントで男性従業員に丁寧に断られたためいろいろ話を聞いて帰ってきたそうだ。結局Motor Hotelというより日本語で言うところの゛ラブホテル゛=゛モーテル゛という図式をやっとのこと理解してあのとき親しい日本人女性に尋ねたのは大失敗だったと大笑いしていた。
年のせいか疲れが取れにくい体質になってきているので゛念には念を入れて゛少しの間仮眠を取りたいところだがここは時間をかけられない理由がある。そう、生後一か月の大切な赤ちゃんがいるからだ。一緒にいる時間が長くなればなるほどオムツ替えや適切な方法でミルクを作り与えてやる必要が出てくる。一応、替えのオムツも市販の乳児用調製粉乳(粉ミルク)、哺乳瓶、それからミルクの作り方や与え方がわかりやすく書いてある本もスーパーマーケットで買ってきてある。ただ、いかんせん素人だ、赤ちゃんの健康のことを思えば下手くそなオムツ替えやミルクやりはしたくない。

 

 

時刻は午前1時05分、スカイビュー・モーテルで夜景を楽しんでいる余裕はない。
赤ちゃんを用意しておいた少し厚めの毛布にくるみ替えて、駐車場に止めておいたレンタカーに移動した。車の運転はうまい方だとは思っていない。秘密時空保安局の訓練所で新人の中で運転免許を持っていない人間が特別に集められて短期集中講座として二日間の実践授業でなんとか合格し正式な運転免許を頂けたが、市中の民間運転免許教習所で挑戦したら教官に罵倒され続け普通の人の二倍は時間がかかっても合格できなかったかもしれない。訓練所での講習仲間は五人ですべて若い女性ではずかしかったが移動手段として車の運転は欠かせないので必死に猛特訓に耐えた。秘密時空保安局は裏でいろいろな機関と繋がっていて特別扱いしてもらえるのは助かる。つまらない駐車違反などをしてこうるさい婦人警察官にお説教はされたくないが、運転免許証に特殊なマークが印字されていて、些細なことはスルーしてもらえるのはありがたい。
大切な赤ちゃんは車の後部座席にスーパーマーケットで戴いてきた元々缶詰が入っていた木製の箱の中で厚手の毛布にくるまってすやすやと寝ている。病院の保育器には実は赤ちゃんの名前は書いてなかった。生年月日と誰それの娘ということが紙に書いて張ってあった。その紙も一緒に持ってきてある。生年月日と苗字の部分を破り捨て名前のところだけを木製の箱の中に入れておいた。下調べしておいた孤児院へと車を走らせる。幹線道路から少し離れた位置にあるので昼間一度来ていてよかった。幹線道路を外れると街灯が急に少なくなり孤児院へ続く細道に分け入るそのポイントを危うく見失うところだった。

時刻は午前1時20分、孤児院の玄関先の車止め代わりの石段を一、二、三と上がり、そこに木製の箱を静かに置いた。(夜中の寒い時間にごめんね、ジェーン。とってもいい子だ、わずかな時間だったがおとなしく寝ていてくれてありがとう。)
そしてこれも昼間調べておいた二百メートルほど離れた場所にあるサービス・ステーション・・・車に入れるガソリンなどを扱う場所だがちょっとした休息スペースもあり公衆電話がある、ここへ車を走らせた。市の中心部から高速道路に繋がる主要幹線道路沿いにあるため二十四時間営業になっているところで大いに助かった。すぐにサービス・ステーションの中に入って公衆電話から孤児院へ電話した。寝入っている時間帯だからなかなか出なかったが二十回ほどコールしたあたりで繋がった。寮母さんなのだろう、眠そうな声だったが「そちらの玄関先に赤ちゃんを置いて走り去っていった車を目撃しました。」と一方的に早口で告げて車でまた孤児院の近くまで急いで戻った。(よかった、間に合った。ジェーン、さようなら。)遠目で木製の箱が孤児院の中に運び込まれるのを確認してスカイビュー・モーテルのすぐ近くまで移動して車を乗り捨てた。もう車は必要ないし、この時代のこの場所に来ることもないだろう。念のために用意した赤ちゃんのためのオムツや哺乳瓶などは誰かが使えるようにまとめて木陰にビニール袋に入れて放置しておいた。(急がなくては。)歩いてスカイビュー・モーテルに戻りすぐに例の拠点へ飛んだ。