第1場 1970年11月7日 アメリカ東部時間(EST Eastern Standad Time GMT-5)22時17分 ニューヨーク市 バー「親父の店」(Pop's Place)
自称゛私生児の母親゛という変なニックネームを持つ男の常連客がバーにすーっとはいってきたのは、わたしがブランデーグラスを磨いているときだった。身に付いている癖ですぐさま腕時計を見る。特注のもので中央に年号表示があり(もちろん月日、曜日表示もある)タイムゾーン(ニューヨーク市にいる現在はアメリカ東部時間GMT-5・・・第5経度)も重要な要素として表示されている。
1970年11月7日アメリカ東部時間22時17分、ここから一応この話ははじまる。わたしをはじめとする秘密時空保安局職員は常に今いつの時代にいるのか細かい時間にまで気を配っている。職業柄そうしなければいけないのだ。
゛私生児の母親゛というのは二十五歳になる男で背丈はわたしと同じくらいでこどもっぽい顔付きをしている。かんしゃく持ちのようで時折抑えきれない感情を思いっきりぶつけてくるので注意する必要がある。わたしはその男の顔付きが気に入らなかった。(昔から好きになれなかったのだが。) この男こそわたしの仕事の後継者として選んだ大切な人間なのだ。わたしは意を決してとっておきのバーテン顔(人なつっこい作り笑顔)で迎えた。
仮の姿としてのバーテンダー生活(オーナーとして夜の支配人をしている)ももうかなりになるがいろいろな客と接していると当然目が肥えてくる。正直に言うとその男の動作には不自然さが少しあった。゛私生児の母親゛という名前だがここで一人で飲んでいるとき横合いの詮索好きな古株から何の仕事をしているんだい?と尋ねられると機嫌悪そうに「私生児の母親さ、それがどうした?」とよく答えていることに由来する。仏頂面ではなく落ち着いた表情を見せているときは「私生児の母親として赤裸々な告白小説を安いギャラで書いているんだ、他にも実話もののたわいもない小ネタを雑誌に提供して生活しているのさ。」としっかりとした口調で受け答えをする。荒れているときは手が付けられない。話しかけでもしたら酔いにまかせて論破しまくる・・・頭の回転はいいようだ、世間一般大抵の話題には口を突っ込んでくる。そのキレル物言いは敏腕弁護士顔負け・・・問題点に執拗に食い下がり細かい論点にこだわりを見せていつまでもネチネチと・・・婦人警官に違法な路上駐車を摘発されてその際に長々とお説教されているような感じの手ごわさ。こういう性格もこの男をわたしの後継者と見込んでスカウトする理由のひとつとして重要なものなのだが他にもいろいろ理由はある。
前置きはこのくらいにしてここからはテンポよく話を進めよう。いつまでもこの男と呼んでいたのではらちがあかない。彼・・・でいいだろう。
彼はこのバーに来るまでに既にどこかで飲んできたようでいつもより近寄り難い怖い顔付きをしていた。わたしは黙っていつもどおり゛オールド・アンダーウェア゛という名前のウィスキーをダブルで注ぎ、瓶はそのままカウンターの上に置いたままにしておいた。この゛オールド・アンダーウェアー゛はわたしのお気に入りの銘柄で客が特別に飲む銘柄を指定してこなければこれを出すことにしている。
ほとんどの常連客は好みが決まっていて゛いつもの゛と言わなくても来店したらすぐにお好みのブランデーなりウイスキーを用意してとりあえず一杯注ぐことにしている。スラム街のバーとしての心得として瓶は一旦カウンターの下に引っ込めるのが普通だ。持ち合わせがあまり無い客も多いので用心するにこしたことはない。この゛私生児の母親゛と呼ばれる彼は最初の来店時から銘柄にはこだわっていなかったので貴重な゛オールド・アンダーウェアー゛の専門客なのだ。今日は特別な日なのでわざと瓶をそのままにしておいた。既にほろ酔い気分の彼はすぐにその一杯を飲み干し自分でお代わりを注いだ。わたしはカウンターの上を布巾で拭きながら話す頃合いを見計らっていた。
「どうなんですか? 私生児の母親さん、仕事の景気は?」
思い切ってこう語りかけてみた。その途端グラスを握った彼の指に力が入り、ぶつけてやろうかというような不機嫌な顔になった。わたしはとっさにカウンター下に常備してある棍棒に手を掛けて準備した。バーテンダーという仮の姿をしているときはいろいろなことに気を付けておかなければならない。リスク管理として常に自己防衛を頭にいれて行動しなければならないのだ。しばらく妙な沈黙の間が生じて緊張感が続いていたが次第に彼の体の力が和らいできたのがわかった。
秘密時空保安局の訓練所では教官から相手を事細かく観察する癖を植え付けられた。
(ここは一応下手に出て謝っておこう。)
「すみません、ものの弾みで軽い気持ちでちょっと景気はどうですか?と聞いただけなんで・・・深い意味合い、悪気は無いんですがねぇ。」
彼は物静かな口調で「景気はまぁまぁだ。俺が書いて、出版元が本として売り、俺の生活が成り立つ。」と返事をして更にまた自分でお代わりを注いだ。
わたしは自分が飲む分を棚からマイグラスを取り出して注いでからおもむろにカウンターに身を乗り出して挑発してみた。
「あなたの書いたものはとにかくおもしろい、わたしも愛読者の一人ですよ。特に女性目線での記事はすばらしい。」
彼は今まで自分のペンネームを口にしたことは一度も無い(゛私生児の母親゛というペンネームではないことを実はわたしは知っているが・・・)。うっかり口を滑らしたかのように話しかけてみたがこれも計算の内だ、彼が酒に呑まれている度合いも含めて。
「女性目線だと!」興奮して彼は立ち上がって拳でカウンターを叩いた。更に
「ああ、俺は女性としてのものの見方はよくわかるんだ、わかるのが当たり前なんだ。」と早口でまくし立ててきた。
(冷静さを失っているな、計算どおりだ。)
「へぇー、そうですかねぇー? 身内にお姉さんか妹さんがいたんですか?」と疑惑の念を込めて返答してみる。
「いいや、本当のことを話して聞かせてみてもどうせ本気にしないだろう。」
(まだ気持ちが荒ぶっているようだ、ここは一度落ち着かせて・・・。)
「いやいや、バーテンダーとか精神科医なんて職業は、事実は小説より奇なりって事柄をいくつも知っていますよ。聞きたくも無い話を親身に聞いてあげるのも商売の内ですからねぇ。いくらでも聞いてあげますよ、相談にも乗ってあげましょう。そうだ、わたしの身の上話でもしてみましょうか? あなただってわたしのめずらしい体験談を聞けばいい小説のネタとしてうまく書き上げれば大金持ちになれるかもしれない。とても信じられないような話なんですがねぇー。」
「信じられない話だとぉー! 俺の話の方こそ信じられないめずらしいものだぞ。」
「そうですかねぇー、バーテンダーなんて稼業をしているとちょっとやそっとの話では驚きませんから。いろいろなジャンルのとびきりおもしろい話をいっぱい聞いて知っていますから。」
彼は小馬鹿にして鼻で笑い「どうだ、このウイスキーの瓶の残りを賭けるか!」と言ってきたのでわたしは受けて立ってやった。
「新しい瓶を一本賭けましょう。」と゛オールド・アンダーウェア゛をカウンターの上へもう一本出した。
(こちらの思惑どおりにことは進んでいる、その調子だ。)
わたしはもう一人の雇いの夜のバーテンダー助手に手で他の客を引く受けてくれと合図を送った。わたしたちはカウンターの右端にいたので大判のメニューをつい立て代わりにして様々な小瓶などで支えてプライベートな空間を作り上げた。
カウンターの逆側、左端でテレビのボクシングを見ている客が二、三人。それから中央付近のジュークボックスで音楽を聴いている客が一人いるだけなのでこれで充分落ち着いて二人だけで話ができる。
準備万端整ったところで彼が「よおーしっ。」と気合を入れて身の上話を始めた。
「まず俺は私生児なんだ。」
「はぁ? ここいらではそんなことめずらしいことではありませんよ。スラム街にはうんざりするほどいっぱいいますからね。」わたしは語気を強めて言い返した。
「つまり俺の両親は正式に結婚していなかったってことだ。」彼もさらに強く言い返してきたがわたしは少しトーンダウンして彼の表情を観察した。
「それも平凡、よくあることです。」
「俺が生まれたとき・・・」と彼はそこまで言いかけて口をつぐむと何かを急に思い出したかのように温かみのある表情に変わっていた。このバーに来るようになってからはじめていい顔付きを見た。しばらく話を続けないような雰囲気だったのでこちらから静かに話しかけた。
「わたしも正真正銘孤独な私生児だった。親の顔も知らすに育ったしどこを向いても私生児だらけだった。」
しばらくして彼の目線がわたしの手先に移り少し興奮気味に文句をつけてきた。
「俺の上手をいこうとしても駄目だ。おまえは結婚しているじゃないか!」
わたしの左手の薬指に着けている指輪を指差しながら怒った目でカウンターを叩いた。
「ああ、これね。」わたしは彼の目前に左手の薬指を差し出した。
「これは見かけは結婚指輪に似ていますがまったく違う意味合いのものですよ、よく見てください。仕事柄変に言い寄られないように女性除けのまじないとしてはめているものなんです。」
1985年の時空に滞在していたとき同僚の秘密時空保安局職員から特別に譲り受けたものでその同僚がかって任務で紀元前のクレタ島に行った際持ち帰った骨董品なのだ。
「ギリシャ神話に登場してくる蛇・・・円を描いて自分の尻尾を無限に呑み続けるウロボロス・・・輪廻の蛇、偉大なパラドックス・・・始まりも終わりも無い矛盾しているものの象徴、その指輪なんです。」