《本投稿は、2日前に下書きを投稿してしまっていることに気づかず寝落ち、朝びっくり!となったものを再投稿するものです。推敲前の拙い下書きを読まされた方々には申し訳ないことです。》

 

 最近は日本の大学もGPA方式を取っている大学も増えているのですね。近大の通信過程・図書館司書コースもGPAとのことでした。はるか昔の私の学生時代、GPAは海外の大学にapplyする時に問われるものという感じでした(どれだけ昔?!)。新卒で国立国会図書館や国立情報研究所に就職したい場合は成績は重要なのかもしれません。そこを目指す人は「勉強が楽しい→良い成績」なのだろうなあ、たぶん。物事の方向が「勉強→成績」であって、「成績→勉強」ではない。

 一方、司書コースの通信課程で取ったGPAがどの程度重要なのか不明です。資格は入り口でしかなく、実務の積み重ねの方が重要だと感じます。

 

 一般的な話になりますが、大学学部課程の経験者はご存知の通り、大学では自分がどちらのタイプなのかを自覚する必要がありますよね。高校生までとは全く違う考え方・価値観かもしれません。

 

《考え方1》

再履修は何がなんでも嫌だ!

→最初から各科目を一生懸命勉強する/スレスレでも合格すれば良い。

 

《考え方2》

GPAを高めたい/中途半端な成績をとるくらいなら2回目の試験で良い成績を取った方が良い!もちろん留年しない範囲で!

→1回目に単位を落としても、次に良い成績を取る。

 

 再履修でGPAを高めることが良いかどうか、「良い」の定義・基準によります。私は学部生の時、GPAの計算が再履修の良い成績で高いGPAになることを知り、変だと直感的に思いました。一定の時間内に一定のレベルを達成したことの価値は?という意味でです(時間の概念がない世界)。もちろん再履修で開眼する人もいますし、何事もストレートに物事が運べば良いわけでもないので、それを否定している訳ではありません。実際、人生紆余曲折も楽しいものです。

 成績だけのことを考えるのなら、文句を言う前に自分が良い成績を残せば良いだけのこと。再履修の人はどうだこうだと低レベルな文句を言っている時点でダメだって良く分かってます、はい。

 このようなことを書く理由は、通信とはいえ久しぶりに大学のコースに取り組み、思い出すことがあるからです。高校と大学の間には大きな価値観の違い、ギャップというよりキャズム(chasm)があることをもっと早めに明確に認識しておきたかったと感じます。理想としては高校生からそれを考えられると良いのですが、実際は難しいことです。最近の現役大学生の感じが分からないのですが、そうした価値観の違いを認識する/させることは今でも多くの学生に必要だろうと思います。

 さて、今回の私の場合は落とすと思った科目もギリギリ通ってしまい、試験は一発合格でした。試験を2回受ければもう少し良い成績だったかもと思う科目もありますが、今の私には Time is money!

 

 予想はしていましたが、マイナーなテーマで始めたブログでもお金や成績といったテーマは関心を引くことをあらためて認識しました。まだブログ開始1ヶ月なので、図書館・司書・本をメインテーマとして堅持し、マイナー路線を行く!(暫く?ずっと?ネタがいつまで続くか不明。)