司書コースで印象深かった学習内容が2つあり、1つ目は「分類=集める+分ける」でした。2つ目は国家戦略としての図書館です。

 

 相当粗い表現になりますが、古代から中世には(広義の)図書は貴重で、図書館は宗教・権力と強く結びついていました。欧州に紙が伝播し*、1450年頃にグーテンベルクが活版印刷技術を発明すると、印刷物は強力なマーケティングツールとして知識を普及させる機能を果たします。マルチン・ルターの論文(1517年発表)は(当時のレベルで)大量に印刷されたからこそ宗教改革を促進する力を持ち得たと考えられます。

 商業の発展を背景に市民が力を持ち始めた近世、例えば日本の江戸時代には、郷校・寺小屋での教育が庶民を読書人口として取り込み、庶民向けの文庫や貸本屋が成立するようになりました。

 図書は、時に思想統制という収縮方向への利用もありますが、本質はメディア(媒体)であり拡散機能です。伝えたい、でも全部手に入れたいという人間の矛盾する欲求を感じずにはいられませんが、図書館はそれらを両立させる存在だと思います。所有する図書を保管管理し、その中からより効率的に図書を検索するために目録法や分類法があり、特に19世紀頃には欧州を中心にそれらを体系化するのための理念が議論されるようになりました。本を探し特定するための情報を「書誌」といいますが、国を超えた書誌共有化への動きは現在のネット上の画像・動画へのタグ付けルールの標準化などに繋がります。

 日本に無料の公共図書館が普及したのが第二次世界大戦後で、まだ100年も経過していないことに驚きます。米国は図書館を自由民主主義を広げる社会的機関として活用すると同時に、どの国にどのような本が存在するかを知ることで知の集積を計測し、国力レベルを比較推計する優位的な立ち位置を占めました。国家レベルでは国民の頭の中を覗かれているに等しく、個人情報保護法なんてなきが如しの「本当は怖い図書館」みたいな話です。

 欧州はあらゆる分野で「ルール作り&監視役」をビジネスにするのが本当に上手です。「本が読めて嬉しい!」と純粋に、「しかも無料!」と単純に喜ぶ気持ちも小市民としては大切にしたいですが、図書館でさえこのような歴史背景があることを知れば、日本にもGAFAが誕生するのだろうなあ。近大司書コースでは選択科目の「図書・図書館史」ですが、個人的には義務教育の歴史の中で必須で教えた方が良いと思います。

 

*紙の歴史・伝播は、日本製紙連合会のHPが参考になりました。