トランプさんが銃撃されるという世界的な事件がありました。アメリカ大統領選挙には様々な利害関係が絡みます。日本も無関係ではいられません。犯人をただの悪とするかでも違いますしね。日本で言うと統一教会みたいなことも起こり得て、その波にのまれるところもあるかもしれません。


 能力的観点から観て、堀北真希さんという引退された女優さんの血筋を当ててしまい、能力的観点からの類推ってすごい正解率なんだと心配になりました。一般的に見て、傾向を持つ可能性が高いくらいの感覚だったのですけど。

 さてさて、僕こと雷流師範の言うところのいわゆるの能力は細胞や器管や構造やら由来のもので、実に多種多様ではあるのですが、人はそれぞれのバランスを持って全ての[能力]を持ち合わせているのです。要するに「統計的有意差がない」と言うことなのかな。 本来、人それぞれのバランスで生じる利き能力ではないといわゆるの能力は暗電流のような誤差範囲のものになってしまうのです。

 で、振動です。ある種の振動は細胞の活動を活発にしたり、細胞の特定の働きを強めたり特定の物質を多く出したりします。その特定の物質がオーラになったりします。器管や構造にも様々なものがあり、当然のように振動も無限に多く種類があります。

 いわゆるの能力の実用性ですが、まず目ではっきりと追えない故に効果的に扱えないのがあります。追えるという人は他にも植物や虫、電化製品や家中の配線、あちらこちらで起こる化学反応やイオンやプラズマも見ることができるで良いですか。つまり目ではほとんどはっきりと知覚できないので、本来は他の感覚も交えたもので実感として悟るしかないのです。そして他の感覚、いわゆる実感もまたいわゆるの能力なんです。

 まあまとめて言うと、いわゆるの能力は何かをする力であり、同時に何かを知る力でもあるのです。例を挙げるとシュレーディンガーの猫です。二つの力をバランスよく使えるように訓練しないと現実社会では役に立たない。一般で言うところの実行力・知力・社会性やコミュニケーション能力を備えろですね。命令口調ですがさりげなく何故ここで並べたかに思い到ってくれれば幸いです。いわゆるの能力は人間が生きる為、生き易くする為に手に入れてきた力ですから。


 意図を持って表現を難しく克つ語句の説明を省いています。あしからず。