文章を節つけて詠む詩吟や神道の祝詞やケルト神話での魔術など、音楽の源流の一つは超自然的な力を行使する術なんです。たとえば日本では創作の狙いとして手っ取り早く自分の世界を分かってもらうというのがあります。そういうものから来てるのか、日本の音楽を術の観点で聞いていくとまず概念的な社を建てていってそこからサビで術を行使する様式に感じるのです。

 ところがアフリカだと原始宗教が神の存在が人間にも宿るという考え方なので、神的存在を周囲から招き続けていく様式に感じました。一方でKーPopはキーセンから派生したことから考えると腑に落ちて、舞台が事前にあるところで表現するつまり魅せることに特化した感じですね。

 アメリカは教会音楽と懺悔が一緒になったような教会にいる人たちつまり曲を聴いている人たちと神に対してこんなことがあったよ、こんなこと考えたよ、感じたよというのを打ち明けることで神や人の加護を求める術式として解釈しました。

 イギリスは抽象的な戦いの前後に自分たちの神に戦いの理由や経過や結果などを報告し加護に感謝しさらなる加護を求めているという様式ではないかというのが今のところでの予想です。


 異文化としてありがたがられてもその国に定着していくのはその国の様式の根幹の一部を上手に変換して取り入れていったものです。この課題は難しいですよ。