僕が異世界審査で言った中村俊輔の左足も能力でしょ、それが僕にとっての能力なんです。漫画やアニメのスケールの違うのではなく、ちゃんとあるもの、あるのを理解できるもの、あるいは当然あるだろうと推定できるもの、人が特筆してできるものが僕にとっての能力なんです。
で、はっきり言いましょう。能力のような奥深く歴史のあるもの、様々な流派に分かれ背景や環境や人も異なる、そんな大層なものを一個人の感性的に理解できるものだけで網羅できるわけではないのです。他の人にちゃんと言ったら馬鹿にされるけどこんな能力があってきっとこんなことがこんな理由で起こせると実感としてあるなら本当にそういう系統の能力があるのでしょう。どんなに他人にはあやふやな夢想のもののように思えてもです。ただ一つの能力は人によって強弱があり、ものによっては環境によっても大きく左右されます。
一つ例を挙げると幻聴と言うのがあります。周りは本当にするはずがないと思いますが本人には確かに聴こえているようなのです。そういう方の場合、自分で自分だけが理解できる形で声を起こして聴く能力を発動させているわけです。精神的に病んでなければ神のお告げを聞く能力にもなりますし昔から割りと知られたものなんでしょうね。何をもって神と判断するのか、それは他の人からのテレパシー等の幾つもある転話術ではないのなど、まあ思うところはありますけどね。科学で一般的になっているものなら様々な雑音や刺激などから能力者がとらわれている思いや考えに引っ張られてそのように変換していってしまうというものがあります。病気の人は執拗に同じような変換を繰り返す、つまり脳の同じ部位をあり得ない程使い続けるので、CTだっけMRIだっけ特徴が出て分かるのだったと思います。
同じように目の能力を執拗に使う人の場合は一部に変質や変形が起こりやすいと思うので医療機関が把握していたら何かの液体成分に近いもので保護してそれでも使い続けるとその成分が変質して緑内障とされるような治験を行っているかもしれませんね。