パリコレでの演奏と、あれから5年。(最終話) | Keyaki

パリコレでの演奏と、あれから5年。(最終話)

ついこの前、人生スキルアップを専門業とする沖縄の友人に、
「人間、失敗の体験は反省して次に生かすけど、成功の時は何もしない。成功体験も振り返って吟味して何故成功したかをメモリーしとくと次から成功する確率が高くなる。」と教えてもらった。

「失敗は反省、成功は反芻」

つまり失敗しても勉強になるし成功しても勉強になる、と。
うん、コレいい。



というわけで早速振り返ってみる。



『今回の演奏の成功理由』


1、事前のキメ細かい深いつくりこみ

Show(Gig)には、必ずストーリーがある。
音の演出の仕事なんかの場合は元々ストーリーがある場合もあるし、SoloのGigであれば自分で創る。
ストーリーをきちんと理解してとらえ、各部の構成を細部まで解剖して、構成要素であるその「一つ一つの何か」を音で表現する。
この「音に変換していく作業」に、今までの練習や経験やセンスが必要となってくる
うまく変換できて一つ一つの音がイメージできた後は、それを細かく追及していく。
それで良いのか、その音で合っているのか。
どこまで追求するかは人それぞれで答えはないけど、自分の場合は目安の一つとして自分の細胞が納得するかどうかがある。ここはなんかカンみたいな領域で、言葉で説明できない。
とにかく細部まで血管を通して細部まで血液を行き渡らせることができているかどうか。そしてそれを俯瞰して、キレイに血液が流れているかどうかを見る。
ここは一番大事かもしれない。
納得するまではひたすら改変して改変して改変していく。もちろん時間がかかるし、すぐに完了はしない。
イメージ固まらない時は無理せずそのままにしておくのも有で、なぜなら時間たたないと見えてこない部分もあるから。積み重ねていく作業の上でしか判明しない次のStepもあるからだ。
あと、少しのハンドルの遊びも残しておくこと。

これをできた後、はじめて通しの練習を繰り返す。


今回はこれが自然にできた。

あの紳士の失敗の一件があってから、「次は失敗できない」という強い思いによって自動的に編み出された手法だった。



2、自分を信用した

事前の準備をばっちりしてきたお陰で、自分の事を信用していた。不安や疑いなく、本番は高いレベルでパフォーマンスできる、と感じることができた。
そのお陰で心に余裕がうまれ、現場についてから自分以外の事に目を向けることができた。
デザイナーMAEDA先生の覇気や心意気、Staffさんの現場の雰囲気作りの姿勢とか日本人ならではの配慮に気付くことができた。
一人ひとりが自己に妥協を許さず、ぎりぎりの所でBestを狙って仕事をしているヒリヒリした空気を見て、そこに関わるプロフェッショナル魂をもった全ての人達を信用することができた。そのお陰で現場や会場に溶け入ることができたと思う。



3、普段の準備

ベルギーでは週3のジャンベ通い。ダンスクラスでの楽しいけど辛い伴奏。毎週末のBusking。去年からはじめた体力づくり。
それらはすぐには効果が見えないけど、本番の時「あぁ力がついている」と実感できた。
質の高い「準備」がもの凄く大事。



目立つのはこんなところ。多分掘り下げればもっとある。

これは追い追いメモしてとっておこう。





Showが終わったあと、前田先生とお話させていただくチャンスがあった。

20年近くも一線で作品を出し続けてきたMaeda先生の言葉がささった。

「毎年挑戦、ずっと挑戦」

「感じて、表現する。これ以上でもこれ以下でもない。そのために今できる最大限のことをする」

「自分の限界は自分で超える」

「技術を磨くことは一生」

「作品を高めるなら、他の事に時間を割かれないように自分の限られた時間をうまくマネジメントする」

「いつでも戦えるように常に磨いておく」


前田先生、英知をありがとうございました。





----『あれから5年』----



あれから5年が経った。。。



ずっと昔から言われていたことがある。それこそ15年ほど前から。。。

「お前の奏でる音はなんか良い」

けど信用できなかった。

「お前は下手だ、けど音は何かが違う」と、「技術はない、でも音が光っている」と。

声も、太鼓の音も、ディジュリドゥーの音も。

家族、東京の仲間、沖縄のとある島の神官、旅で会った仲間やミュージシャン達、ミュンヘンのピアノニスト(自分の音楽の先生)、UKの第一線で活躍するパーカッショニスト、各地の伝統音楽の継承者達や師匠達、皆が同じ事を言った。

でもこれまでは信用できなかった。

なんで皆そんなこと言うんだ?根拠は?といつも思ってた。

技術が無かったからだと思う。
人より時間を割いてこなかったからだと思う。
苦しくなるまで練習したことが無かったからだと思う。
突き詰めようとしたことが無かったからだと思う。
一人で乗り越えてこなかったからだと思う。



2009年に「音楽に生きる」と決めて会社員を辞め、2010年1月に日本を飛び出した。

あれからもうすぐ5年がたつ。

技術をあげるために時間を割いてきた。経験を積んできた。

この5年間、様々な国の、様々な町の、様々なStreetで演奏を繰り返してきた。

これまでの旅でジェンベを止めてた事も一度もない。
どこの旅先でも叩いてきた。
East LondonのJazzクラブの木曜セッション、パリのラ・ヴィレット公園の日曜セッション、西オーストラリアはPerthの月曜血尿ジャンベ部、BaliウブドのDrum factoryのStaff達との金曜セッションとGig。そしてでワークショップにも多く参加した。
ここブリュッセルでも週3回のジャンベとダンスクラスの伴奏。

そして各楽器の日々の地味な地味な練習。

もちろん技術向上に終わりはない。今だって勿論まだまだだ。上には上がいる。

ただ、これだけは胸はって言える。

自分は間違いなく技術を磨き続けている。



そして今、


今年、こうやってパリコレという大舞台に一人で立ち、

会ったことない人達の前で演奏し、

そして会ったことない多くの人達に言われたんだ。




「あなたの音が素晴らしい」と。




ようやく思う。


「俺の音はいいんだ、やっぱりそうなんだ。」



今、やっと、

「自分がだす音がいい」ということに自信がつき始めている。





2010年の1月に西アフリカに行くために日本を出た。

海外初のバスキングはロンドンで、初日のアガリが6時間で15ポンド。
となりの物乞いは腕をゆらして60ポンド。

あれから5年が流れ、

2014年の9月、パリコレで仕事で演奏した。



まだまだ目標とする到達地点ははるか彼方の先で、登山の途中だけど、
こうやってふと立ち止まってあたりを見回してみると、今までとは見える景色が明らかに変わっている。

これまでは自分が何をしているのかも分からない感じで、本当に目的地に向かって
進んでいるのかどうか全然確信が持てず、ただガムシャラに経験と現場を積み重ね、本当に積み上がっているのどうかも分からないまま、実感もわかないままだった。

だけど5年が経ち、今は基礎となる土台の片鱗が少しづつ見えてきたように思う。

それもかなり強固で頑丈な土台だ。



さぁここからまたさらに積み重ねていこう。

これからまたさらに5年、しっかした頑丈な土台を作っていこう。

ひたすらに磨いでいこう。磨いで磨いで研ぎ澄ませていこう。



そうしてまた5年たったら、見える景色はもっと変わっているに違いない。





必ずあの場所へいく。

太鼓の力を信じている。(太鼓は本当に凄い)

楽器の力、音楽の力を信じている。(音楽はホントに凄い)


そして今、自分の音を信じ始めている。



http://keyaki.jimdo.com/




〈完〉






オマケ







読んでいただき、ありがとうございました。