2011年夏、ヨーロッパ回想 | Keyaki

2011年夏、ヨーロッパ回想

2011年夏、ヨーロッパ回想


■4月  

意気揚々とオーストラリアを出てマレーシア経由でUKに向かう
スタンステッド空港イミグレで揉め、結果入れずプリズンに一泊。
護送車の窓から見えたロンドンアイに毒づく。「のんきに回ってんじゃね~!」
相部屋のパンジャブ人のカレー臭が強烈でマイッタ。
   
UKからAirASiaに乗せられマレーシアへ逆戻り。
クアラルンプール空港で途方にくれる。悩んだ末、バリへ飛ぶ。
ウブドに一ヶ月滞在、地元の奴らと毎日トゥアックを飲んだくれる。
溜まっていた歌&ギターの曲を完成させる。




■5月  

一ヶ月のBaliで癒され、夏のEUで挑戦する事を改めて決意。
ベルリンへ飛ぶも、飛行機の日程を間違えパリで立ち往生。
パリの妹、Soniaに助けてもらう。

ベルリン到着。マッシュ宅に泊めてもらいながら毎日Busking。
しかし思うように稼げず、所持金が底を突く。




■6月  

ミュンヘン在住のマナブに「俺の家ならいつまでいてもいいス」と救われる。
速攻でミュンヘンへ向かう。
しかし、ミュンヘンは路上でジャンベはNG。ヨチヨチ歩きのディジュでBuskingするも、勿論金は入らず。所持金無い、稼ぎも無い、不安定な状態に弱気になる。
   
Buskingに苦労し、アイルランド行きを決意。
太鼓とディジュもってGalwayへ向かう。が、ダブリン空港でイミグレ官に入国を拒否られる。
堪忍袋の緒が切れて、空港でブチ切れる。
どうなっても構わないという気持ちで係員に想いをブチまけた結果、特例で一ヶ月だけ滞在を許される。

Galwayで毎日Busking。友人のStudio内に埃を被っておいてあったバラフォンを見   つける。バラフォンとディジュとカホンでBuskingを始める。
路上でメロディが閃く。そのまま友人達と2曲レコーディングする。
このスタイルを始めて、稼ぎの額が増え始める。

幾つかのGIGをさせてもらい、地元LiveHouseから来年腕をあげてワンマンで来いと嬉しい言葉を貰う。




■7月  

ミュンヘンに戻る。
2週間、バラフォンを探すが見つからなかったが、縁が繋がり、紹介の店で逸品を   見つける。しかし金額が高く、手が出せないまま店に3日通う。
そこの店主が救いの手を差し伸べてくれる。
特別にバラフォンを10分の1の値段でレンタル。

曲作りと路上パフォーマンスの毎日。プライベートパーティのGigやホテルやPubでの演奏の仕事が入る。
しかし路上では警察に2回捕まり、路上で2度とするなと警告を受ける。
再度、場所探しに苦労する。所持金は増えず、若干ナーバス。
   



■8月  

近くの公園でサマーフェスティバルが始まり、そこでBusking始める。
自作の曲が増え始める。 
滞在するマナブ宅でレコーディング、CD完成。
毎日公園で演奏、徐々に人だかりができるようになる。

オーストリアのLinzへ、大らかな自然とドナウ河に癒される。
東欧でもストリートミュージックFesが多いのを知り、来年の目標ができる。





■9月  

スピリットワークのセッションにドラムサークルのフェシリテータとして参加す   る。新ジャンルの出会い。次の階段が見え、自分の道がますます明確になる。
   
ある方からスポンサーしたいと、ありがたいオファーを頂く。ありがたくお受けする。
   
ミュンヘンを出て2週間ほど西側を攻める。
ドイツの西の森、Altenkirchenへ友人に会いに行く。
ここでもBarでGig、ストリートでパフォーマンス。沢山友人ができる。
   
デュセルドルフ、ケルン、ボンでパフォーマンス。
この頃から安定して人だかりができるようになる。

オクトーバーFestが始まり、ミュンヘンへ戻る。
マナブや友人達と別れの酒を飲む。皆、本当に優しい。いい奴に沢山であったなぁとシミジミ思う。

パリに移動。
シャトレでパフォーマンス。
今までにないほどの人だかりをつくる。CDが沢山売れた。名刺も全部なくなる。
確かな手ごたえを感じる。
来年ここで勝負しようと目標ができる。






というわけで、まだまだ沢山の事があって書ききれないけど、今年の夏のヨーロッパを振り返ってみた。

27日にパリを出発してバリ島経由してオーストラリアへ向かいます。


さぁいよいよ夏のオーストラリア!


次のStepへ進むよ。さてさて、どんな事がまっているんだろうか。





うほ~やべ~な~!ワクワクするな~!!!