料理というものは作り手の問題ではなく
食べる方の問題だと常々思っている。
いくら作り手が思いを込めたとしても、食べる方に心がなかったら無意味だ。
昔
まだ若かったワタシは
ワタシのために料理を作ってくれる友人に恵まれていた。
皆のちにプロとして活躍したんだろうと想像できる彼らは当時、
栄養士の卵として勉強中で。
部外者のワタシに美味しいものを食べさせてくれていた。
そんな友達を観てワタシものちには
ちょっと料理について学びたいと考えるようになり
料理教室に通い、
コンクールをも目ざした。
で、
結婚。
食の安全性も含め20有余年毎日料理を作ってきたが、
行きついたところは
料理は作り手の問題ではないのだということだ。
思いは伝わらない。
今となっては
健康だとか素材だとか度外視して
夫が望むモノだったらいいなと思う。
だから子どもたちには同じものは食べさせない。
冷凍庫は
氷と冷凍うどんしか入っていなかったはずだったが、今ではチンするお弁当のおかずが一つ二つはいるようになった。
夫のため。
夫は
結局そういうものが好きだから。
なにかの素もレトルトのたれも殆ど使ったことがない。
が、
今ではストックしてある。
みんなみんな夫のために。
昨日も
夫のためだけにトロのお刺身を用意。
夫のために。
夫だけのために。
その夫が
ある日サラダをドンブリいっぱい作ってと言った。
本当にドンブリいっぱい作ったら
すぐに食べなくなった。
娘と
きっと健康診断の結果が悪かったんですよと話していたらその通りで、
自分の両親には血圧が高いと話したらしい。
でも自分で焼き鳥を買ってきたり、おかずを残して乾きものを食べている。
しょうがない。もう、しょうがない。
お友達に、
夫が望むアメリカンでゴージャスな食事を作ろうと笑い話しをしたけれど、
笑い事ではなく本当にそんなものしか食べないんだから仕方がない。
望まれるものをしたくしながらも
忸怩たる気持ちはワタシが人間だからだろう。
日々
毒を盛る思いで食事の用意をしている。
こんなはずではなかった。
20年前にはこんな日々を予測してはいなかった。
娘に
絶対にお父さんは母の使い方を間違っている。
そう言われる。
仕方ない。
今更どうすることもできない。