夫を現場に送り届けてきました。
帰宅は三時ころだけど、もう一回今度は職場に戻るらしいのでほっとしています。
明日も現場。
明後日は搬出の手伝いにはいくものの、お昼間いっぱい現場にいるので安心。
いい連休だ。
搬出には娘もつれていこう。(保険)
息子もチャレンジャーなので、夫の現場の違うイベントを観に行くらしい。
遇っちゃうぞー!!
それもまたよし。
本日が消防点検だし、午後から夫が車を使うというので
鳩山祭り には行けませんけれど、
には行けそうなので
それを楽しみに致しましょう。
でも明日もしかしたらグッズくらい買いに行きたいな。
雨降らないといいな。
そうでなくとも喉が痛みます。
もしかしたらPM2・5のせいかもしれないけれど。
連休と消防点検のせいでリハビリにも眼科にも行けないので、
それが残念な週末。
ブログネタ:「病は気から」は本当だと思う?
参加中
私はうそ 派!
娘がね、
大手塾の女性校舎長とお話をしてきましてね。
校舎長は心理学専門だもんだから上手に娘も心の深いところまで手を伸ばすですよ。
ちゃんと泣くべきところは泣くようにね。
別料金払いたいようだわ。払えないけど。
で、
娘が言うですよ。
バレエ辞めたくなかった。
でも足にトラブルが見つかって踊れなくなって。
もっとひどい障害の人(目の前の母含む)(ワタシね)
がいるんだからこのくらい気にするほどでもないっていう。
お医者さんも踊らなければいいっていう。
でもワタシは踊りたかった。
そうですよね。
たとえどんなひどい障害の人がいるからといって、
ワタシの脚が痛いのは代えがたい事実で。
もっと痛い人や可哀想な人がいると言われたってワタシも痛いものは痛いんで。
心も体も痛いんで。
痛みとか哀しさって
共有することってできないんですよ。想像するだけ。
寄り添うことはできてもわかることなんかできないんですよ。
だから
もっとひどい人がいるって言われるたびに悲しかった。
結局
生き方の問題というのはその通りで
痛いけど、
哀しいけど
立っていたいと思っていられるかどうかは個人の問題なんです。
ワタシは立っていたいな。
ずっと昔神様が言ったんです。
人間は葦草なんだって。
だから倒れたら枯れて腐る。
腐りたくないからわたしは立っているよ。
こうしなさいとか
こうがいいよとか
ワタシには言えないです。
娘は
骨と健の両方に障害が見つかりもう踊ることは出来ません。
引きちぎられた夢をまだ追いたい心があり、現実の明日が心を押しつぶしています。
普通に歩ける。
痛みさえ我慢したら誰にも気づかれないで簡単な新体操の技ならこなせる。
言わなければ
言わなければ
でも
痛いんです。
娘は
ワタシの体調を知っているから
だから何も言えなかった。
ワタシは一度たりとも
あなたより大変な人もいるからなんて言わなかったのに言えなかった。
ワタシがヤマイ持ちだからです。
目が見えなくなっても死なない。
耳が聞こえなくなっても死なない。
歩けなくなったって死なない。
ワタシ自身はだってなっちゃったものはしょうがないじゃないと言ってはいても
娘にしたらしんどいんだろうな。
立っていたいです。
絶対に倒れない。
でも、
病気にはなる。
気からじゃない。
それが哀しい。
ごめんね。
