Hi, beauties♡ ひとみです。
「言葉ひとつで世界は変わる」
言葉と心の動きに注目して、
よりhappyに生きるお稽古中♡
あいさつをしない/交わさない人が
大嫌いです。
本当に嫌い。
この世でいちばんと言っていいくらい嫌い。
誤解のないように言うと、人見知りとか緘黙とか
対人関係が苦手などの人のことではなく、
普通に話す人なのにあいさつはしない人の話です。
なぜ時間にしてわずか1・2秒の
例えば「こんにちは」という
たった5文字すら発するのを惜しむ…?
おろそかにする?怠る?サボる…??
↑
何という言葉が適切かわからないけど、
とにかく「やらない」と決めているのか。
それほどまでに
私のことが嫌いか?笑
と自虐したくなるような態度をする人が
実はいろいろな場面で数人ほどいます。
中には
私に対してだけではなく
誰にもあいさつしていない人もいるので
そういう人は何か心に決めたものが
あるのかもしれませんが、
もちろん私が口を出すものではないことは承知の上で!
毎回、本ッッ当に超イラっとする!
なぜなら私はこれを
「育み合う気がない」を体現している
最たるものだと思うから。
「育むこと」について書いたのはこちら↓
わずか1・2秒の、たった数文字の言葉で
そのあとお互いに気持ちよく過ごせるのに
そのエネルギーすら出さないって
どんだけ出し惜しみしてるの?!
私はその在り方は大嫌いだし、
私はそういう在り方を
「醜い」や「貧しい」と呼びます。
私は美しく(=私にまっすぐ)ありたい
あいさつが大切だという感覚は
間違いなく親のしつけの影響です。
そこまで厳しい親ではなかったのですが、
あいさつ・返事だけはうるさかった。
朝起きてきて「おはよう」の声が聞こえない
→やり直し
なんてことはあたりまえで。
知っている人に会ったらあいさつ。
わかったら返事。
相手に聞こえないなら言ってないのと同じ。
気持ちのよいあいさつ・返事をしなさい。
話は目を見て聞きなさい。
耳タコ笑
小さいころは「いちいち細かくてうっさいなぁ」と思ってたけど、本当に感謝しかない。
小学生くらいのころ、
夜ごはんのときに母親が
「今日近所の○○さんが
『ひとみちゃんがあいさつしてくれたの』
って言ってたよ」
と言ったことがありました。
そのとき思ったこと↓↓
………で?
子ども心ながらに
それを口に出すのは控えて
「ふぅん」と言うにとどめたものの、
(空気読んだ!私!笑)
当時は、なぜそれをわざわざ私に言った?
という気持ちにしかならず。
今ならほめてくれていたのだとわかりますが。笑
それくらい、私にとって
「知っている人に会ったらあいさつ」は
あたりまえになっていて、
今思えば、その時点でもう
歯を磨くのと同じ感覚だったようです。
だって「今日は歯を磨いたよ!→…お…おぅ?」じゃん!🤣
その、あたりまえの習慣に
あいさつは育み合うためのもの
という設定を
いつの間にかどこかで私がつけたんだろう。
だから、こちらがあいさつをして
相手から返ってこなかったときに
「お互いに気持ちよく過ごせるようにしようっていう気がないってこと?」と
イラッとする。
確かに、あいさつは
お互いが気持ちよく過ごすための潤滑油だと思う。
でもさ、
その潤滑油のせいで
私の「イラッ」が引き起こされてんのよ。
全然潤滑になってないし。
だから、
「あいさつ」の設定を変えました。
あいさつとは?→するもの
あいさつが返ってこようがこまいが
私がするもの。
だから、したら終わり。
返ってきたらhappy♡
人間関係がスムーズになったら
さらにhappy♡
余計な設定を外してみた。
うん、こっちの方がいい。
もっと自由に軽く軽く♡
ちなみに、
あいさつを返さない人へは
私はこの人に「あいさつをされているのに無視しなければならない」というミッションを与えている
というふうに考えればいい
とどこかで読んだものが私にヒットしたので
それを採用中。笑
こういう柔らかい発想が大好き♡
そもそも、相手にだって
あいさつを返す/返さない自由があるし、
それを私に強制する権利はない。
返ってこなくてイラっとしてるのは
勝手に拗ねてるだけだということも
わかってしまったから。
私が掛けたくて掛けるだけ↓
あいさつは大事だし
私がずっと大事にしてきたもの。
それは変わらない。
だけど、
そこにどういう意味を持たせるのかは
私が自由に変えていこう。
Enjoy myself!
全力で私を楽しもう♡