【あれから80年】ニ・二六事件 | 話の種(仮)

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「ハッキング」から「今晩のおかず」までを手広くカバーする・・・?
ひねくれすぎて素直・・・?な、徒然ブログ。

◆二・二六事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6
◆2・26事件を巡る
http://www.tokyo-kurenaidan.com/showa2.htm
◆「蹶起趣意書」
http://quasimoto.exblog.jp/19858173/
◆NHK『その時歴史が動いた』
https://www.youtube.com/watch?v=7wVDs7cMYMY
◆NHK『歴史秘話ヒストリア』「二・二六事件 奇跡の脱出劇」
(2016.2.24)
https://www.youtube.com/watch?v=oXuaCCAYrsk
http://video.9tsu.com/video/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%A7%98%E8%A9%B1%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%80%90%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6_%E5%A5%87%E8%B7%A1%E3%81%AE%E8%84%B1%E5%87%BA%E5%8A%87%E3%80%912%E6%9C%8824%E6%97%A5
http://ameblo.jp/skyblue-junior/entry-12132751902.html
◆福田耕(1888-1970)
http://www.city.sabae.fukui.jp/pageview.html?id=10903
◆どうしてそうなった...二・二六事件の慰霊像、今や「女子高生に人気の告白スポット」らしい
http://j-town.net/tokyo/column/gotochicolumn/201208.html?p=all
◆下野新聞「雷鳴抄」2016.2.26
二・二六事件から80年
宇都宮中央女子高の東側にかつて陸軍歩兵第59連隊があった。連隊長としてシベリア出兵を率いた松尾伝蔵(まつおでんぞう)は80年前の今朝、時の首相岡田啓介(おかだけいすけ)の身代わりとなり、官邸で凶弾に倒れた
▼二・二六事件。陸軍の青年将校が企てたクーデターは失敗したが、軍部が国政への影響力を拡大する契機となる。敗戦の9年前だ
▼予備役となり、地元の福井市議などを務めた松尾は、義兄の岡田が首相になると、社会の不穏な空気を察して上京。岡田のボディーガードとして寝食を共にした
▼「いつ凶徒が襲うとも、俺が寝ている所を越えなければ、総理を襲うことはできない」と語っていた松尾の文字通りの献身で、岡田は難を逃れた。後に近衛文麿(このえふみまろ)らと敗戦処理を語り合い、鈴木貫太郎(すずきかんたろう)終戦内閣の成立にも尽力し「最後の重臣」と称される
▼松尾の母校、福井市旭小学校に胸像がある。地元公民館が主催して毎年この日、住民や6年生が献花式を続けている。没後80年のことしは「幼い時の記憶は祖父の盛大な葬儀から始まっている」というジャーナリスト松尾文夫(まつおふみお)さん(82)ら孫たちも参列する
▼嶋田直美(しまだなおみ)校長(60)は「小学生に事件を教えるのは難しいが、松尾大佐のことを知って、自主的に調べ学習を進める子もいる」と話す。郷土の先人から歴史を学ぶ取り組みは、本県にも参考になる。
◆二・二六事件から80年 「血染めの芝生」警護の誇り今に伝える
(2016.2.26「産経新聞」)
陸軍の青年将校らが軍事クーデターを狙った昭和11年の「二・二六事件」は、26日で80年となる。政府要人が殺傷され、首相官邸など日本の中枢が占拠された大事件。警視庁も応戦したが強力な武装と兵力に圧倒され警察官5人が殉職した。東京・桜田門の警視庁本部には当時をしのぶ“遺品”が引き継がれ、首都の治安を担う誇りを今に伝えている。
警視庁本部16階。警護課の窓辺に置かれたプランターに芝生が茂っている。首相官邸で襲われた岡田啓介首相(当時)を警護中に殉職した清水与四郎巡査=当時(29)=が倒れ、鮮血で染まった庭の芝生を移植したものだ。
「命がけで警護する。同じ任務を持つ先人の誇り、気概を感じる」と警護課の関岡明課長は語る。同課には、首相や外国元首ら要人を守るSP(セキュリティーポリス)が所属する。
警視庁史などによると、清水巡査は官邸の裏門に近づく部隊に気付き、岡田首相に危険を伝えた。直後、侵入した兵士と銃撃戦になり、十数発を被弾。事件当日は大雪で、鮮血は積雪を溶かし芝生に染みた。この間に、岡田首相は身を隠して、九死に一生を得た。
事件後、岡田首相は東京都葛飾区の浄心寺に清水巡査の墓を建立。「清水与四郎君の殉(たお)れた場所の芝草」と記した碑の前に芝生も移植された。同課は参拝を続けてきたが、事件を後進に伝えようと平成9年末、寺に依頼してプランター1鉢分を譲り受けた。毎日、課員が水やりを欠かさず、大切に手入れされている。
首相官邸は14年に新築。警視庁もテロなどに対処する総理大臣官邸警備隊を新たに発足した。同隊は警護課に置かれ、約100人が勤務している。
海外で過激組織などのテロが相次ぎ、日本でも緊張感が高まる中、主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)が5月に迫る。「サミットはもちろん、日々一つ一つの警護全てが重要だ。先輩方の心構えをかみしめつつ、任務に当たりたい」。関岡課長は力を込めた。
◇二・二六事件 
昭和11年2月26日、陸軍の青年将校が1483人の兵を率い起こしたクーデター。天皇親政を唱えて高橋是清蔵相、斎藤実内大臣ら政府要人を殺害、永田町一帯を占拠した。29日までに鎮圧され将校らは処刑。犬養毅首相が暗殺された7年の五・一五事件に続き、軍部が影響力を増す契機となった。





「ニ・二六事件」から80周年。
総理大臣経験者で暗殺された6人
伊藤博文、原敬、高橋是清、濱口雄幸、犬養毅、斎藤実
・・・そのうち2人がこの事件で落命。
当時総理だった岡田啓介は生き延び、後に総理大臣となる鈴木貫太郎(事件当時は侍従長・枢密顧問官)は重傷を負った。
今回の『歴史秘話ヒストリア』は、総理官邸を襲撃されるも生き延びた岡田啓介総理の救出劇についての内容。
岡田の妹の夫で、秘書として仕えていた松尾伝蔵予備役陸軍大佐(1872-1936)が、自分が岡田だといって身代わりとなって射殺された・・・二人は容貌が似ているということと、当時はまだテレビもインターネットもない時代、襲撃部隊の兵士は岡田の顔がよくわかっていなかったことが命拾いの要因となった。また、松尾は日頃から総理に何かあったときには、自分が身代わりにと覚悟をしていたといわれ、誰かと訊ねられたときには「総理大臣だ」と答えていたといわれている。

(左・岡田啓介、右・松尾伝蔵)
総理秘書官の福田耕と、小坂慶助陸軍憲兵曹長の策略により、弔問客に紛れて岡田を救出するという作戦により官邸を脱出・・・その詳細な内容については初めて知った。


また、↑の「血染めの芝生」のエピソードも初耳。興味深いものだった。
あれから80年。現在、渋谷NHK向かいにある二・二六事件の慰霊碑が恋愛の御利益スポットになっているという「?!」な珍現象も起こっているそうだが・・・政治不信と格差社会(貧富の差)は当時と今と同じという・・・それらの解消を期待してやまない。