大阪で生まれた女 | 話の種(仮)

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「ハッキング」から「今晩のおかず」までを手広くカバーする・・・?
ひねくれすぎて素直・・・?な、徒然ブログ。

◆涙が止まらへん「大阪で生まれた女19」魂の名曲 36年ぶりの物語は…
61歳、孫と歩く BORO病越えて
(2015.9.4「産経新聞」)
 「アカンわあ。泣けて、涙が止まらへん」
 バイオリンのシーナがつぶやいた。36年ぶりに「大阪で生まれた女」の続編を作ろうと、入っていたレコーディングスタジオでのハプニング。歌詞作りに向け、「とりあえず演奏しよう」と、楽曲の生みの親のBORO(61)=本名・森本尚幸=が頭に浮かぶ言葉を次々とメロディーに乗せていたときだった。
 演奏を中断してブースを出ると、ディレクターもミキサーも、その場に居合わせた関係者ほぼ全員が下を向いて涙をこらえていた。
 大阪を歌った名曲「大阪で生まれた女」は、昭和54(1979)年に発売された。レコードに収められたのは3番までだが、実際には18番まである青春ストーリー。この日は、それに続く19~21番の制作に、BOROが挑む初日だった。
 「バンドでバンとやるのではなく、オレのギターとハーモニカ、そしてシーナのバイオリンで即興風にやりたい」
 いわば曲作りの序章だったが、演奏するほどに魂がこもり、「BORO節」が炸裂(さくれつ)する。時代を刻んだ曲には、奏者といえども記憶が重なる。音作りにかかわる全員がそれぞれ、36年前に引き戻されたのだった。
◇断り続けた映画化話
 「ボクらが歌える大阪の歌がない」。昭和50年代はじめの大阪・北新地。若いカップルにぶつけられた言葉に発奮し、BOROはこの曲を作った。当時23歳。大阪・箕面の高校を卒業して歌の勉強のため上京、3年過ごしたあと大阪に戻り、客のリクエストで歌う弾き語りをしていた。
 大阪で生まれた女の歌詞は実話ではなく、フィクションである。夢を追う男と、それを支える女。そして現実に耐えきれず迎える破局。夢の都市・東京と生活の場所・大阪。よくある構図だが、その歌詞、メロディー、情感あふれる歌声が人々の心に響き、たちまちヒットした。
 「今だからいいますが、これまでに映画化の話が10件くらいは来ています。しかし、どのストーリーもボクのイメージとはどこか違った。だからOKはしなかった」
 「大阪で生まれた女」は、把握できるだけで16人の歌手がカバー。大阪をイメージする楽曲の代表として、カラオケで定番化している。多くのファンが曲のイメージをそれぞれに抱いていることもあり、BOROはこの曲を大切にしてきたのだ。
◇河島英五、桑名正博の「あの曲」をカバー
 BOROは平成18(2006)年、上顎(あご)にウミがたまる大病を患い数度の手術を重ねた。持病のC型肝炎にも体がむしばまれていた。近年は、闘病をしながら歌手活動を続けていたが、昨年、体調が劇的に改善し、完全復活した。
 「何かしたいと、旧友の音楽プロデューサーに相談したら『大阪のトリビュート(尊敬の意味)アルバム』を作ったら」と言われた。大阪の音楽シーンをともに牽引(けんいん)し、年齢が近く親友でもあった河島英五、同学年のライバルだった桑名正博らの曲を歌い継ぐ思いはかねてからひそかに持っていた。自分にしかできないという自負もあった。
河島の「酒と泪と男と女」、桑名の「月のあかり」、やしきたかじんの「やっぱ好きやねん」、上田正樹の「悲しい色やね」そして「大阪で生まれた女」。BOROは大阪の名曲と位置づける5曲を、アルバムに入れるべく、関係者と交渉した。
 「(制作を前に)英五と正(まさ)やんの墓参りにも行きました」
 平成の初め、BOROはあるアルバムで、河島英五の「酒と…」をカバーした。そのとき、レコーディングスタジオを訪れた河島は突然、「ハモるわ」と言いだし、録音ブースに入りコーラスした。今回、その音源を探し出した。
 夜中、河島の声を確認するため1人で音源を聴いていたBOROは、「ハァー」「フォー」と荒い息づかいに気づいた。「英五の声だ」。すぐに分かった。「のんでぇ~のんでぇ~」と歌う前、息をととのえていたのだ。涙があふれた。ハーモニカの独奏も加えて、BOROの歌に音源をかぶせた。20年の時を超えた「61歳のBOROと40代の河島英五のデュオや」。BOROはそう意気込む。
 「月の…」では嗚咽(おえつ)が止まらなかった。「振りむぅくなぁ~」と歌おうとすると、歌詞の通り「涙ぐんで」しまうのだ。「どうしても歌えなかった」。だから、深夜にもかかわらず、桑名の息子、美勇士(みゅうじ)に電話をし、演奏に参加してもらうことにした。
 「5曲についてはできるだけ原曲に忠実に歌った」。そう言うBOROは続けて「敬意をこめてね」と語る。
 大阪の5大名曲はアルバム収録12曲の最初から5曲連続でラインナップした。原曲に忠実に歌うことでBORO節が抑えられ、原曲の個性が際立った。河島英五の豪快さ、桑名正博やたかじんの色気、上田正樹の渋さ。アルバムにはほかに「浪花恋しぐれ」「雨の御堂筋」など大阪の歌謡曲も入れた。だが、「浪花…」はポップス調に、「雨の…」はジャズ風とアレンジに工夫を凝らし、新たな魅力を演出した。
◇61歳の「大阪で生まれた女」
 36年ぶりの「大阪で生まれた女19」は、アルバム販売の主体となるレンタルCDショップ版だけの特別バージョンにする予定だった。いわば「オマケ」だったが、できてみればアルバムの目玉となった。
 楽曲の中の「女」はBOROの造形である。ただ、「女」も、女が愛した「あなた」も高校卒業後に夢を追って上京したBORO自身にオーバーラップするから、「女」の年齢はBOROと同じ61歳。36年ぶりの登場は、大阪の町「上六(うえろく)」を娘の家族と歩く場面だった。
 「歌を作ろうと考えていたときはちょうど、都構想の賛否を問う住民投票運動の真っ最中。上六を賛成・反対両派の宣伝カーが走り回っていた。それを描くことで時代を刻印した」
 BOROとプロデューサーの合作である「大阪で生まれた女19」は、家族と大阪の女の生き方の物語。家族を誇りに、笑いを糧につましくかつ心豊かに生きる女を描いている。
 ただ、ファンにとって気になるのは、女のその後とともに、36年前の「あなた」=「夢をつかんだ人」がどうなったのかだろう。歌詞に登場する娘は、夢をつかんだ人の子供なのか? 歌詞には「あの人が逝(い)かはった」「昔の話を聴かせて堪忍」とあるが、「あの人」「昔の話」とは、夢をつかんだ人のことなのか?
 その疑問にBOROは意味深長にこう答えた。「それは聴く人それぞれで(考えて)。ひょっとしたら5年、10年後に、その回答がでるかもしれない」
 大阪で生まれた女のストーリーはなお続きそうである。
◆大阪で生まれた女~30分を超える歌物語をヒット曲に導いたのはロック界の大物だった!~
(2015.6.14「TAP the POP」)
1979年、当時25歳だったBOROはシングル「大阪で生まれた女」で歌手デビューを果たす。
きっと40代から50代の大阪人にとっては、今でも思い入れの強い楽曲の一つだろう。
オリジナルの歌詞が18番まである曲で、まともに歌うと30分を超える大作としても知られている。
1番から16番までに男女の恋物語が綴られ、最後の17番と18番ではBOROの人生観が語られている。
当時シングル盤にされたバージョンは、その中でも情景描写が秀逸な4番と6番の歌詞を中心に構成されていた。
BORO(ボロ)という名前の由来は、幼少の頃にオンボロ自転車を乗っていて付けられたニックネームだった。
それは70年代の中頃のことだった。
当時まだ20代前半だった彼は、北新地の夜の盛り場でギター1本で弾き語りをしながら歌手デビューを夢みていた。
「大阪の若い人が歌える今風の歌がない」
客席からのそんなリクエストに応えて、彼はこの歌を紡いだのだという。 
ちょうどその頃、彼は内田裕也に才能を見いだされる。
たまたま彼が弾き語りをしていた酒場に、内田が現れたのが1977年の暮れのことだった。
その夜も彼は酔客あいてに「大阪で生まれた女」を歌っていた。
内田はステージを見て直ぐさま「いける」と確信し、さっそく歌手BOROのデビューを画策し始める。
フォークでもロックでもないこの楽曲を、内田はこんな風に表現したという。
「ストリートミュージックだよ!あるいは関西人にしか作れないブルースだね!」
この楽曲と歌手BOROを売り出すにあたって、内田はある戦略を立てる。
それは、同じ歌を東西で二人の歌手に唄わせるという斬新なものだった。
一人はもちろんBORO。
そしてもう一人、内田が白羽の矢を立てたのが“ショーケン”こと萩原健一だった。
テンプターズで一世を風靡した萩原は、当時すでに俳優に転身しテレビや映画を通じて人気沸騰中の頃だった。
1979年の5月にショーケンのバージョンを、そして8月にBOROのデビューシングルとして同曲の連続リリースを実現させたのだ。
内田の思惑通り、相乗効果もあって曲は見事にヒットし、長きに渡って愛されつづける“大阪の歌”となった。
ある男と女が高校時代を共に過ごし、夢を抱いて東京に出た男を追いかけてついていく女、若さゆえに別れてしまう二人…その後それぞれの人生を歩み、懐かしい青春の日々を振り返る──。
そんなどこにでもありそうな物語が綴られた曲の歌詞に、昔の自分の姿を重ねながらついつい深酒をしてしまう人もいるという。
歌詞の端々からは、60年代末にピークを迎えた全共闘世代の若者の暮らしが垣間見えるともいわれている。
振り返るとそこは灰色の街
青春のかけらをおき忘れた街
青春のかけらをおき忘れた街
シングルバージョンとして曲を再構成したときに、BOROはどんな想いでこの歌詞を加筆したのか…それが語られることは一度もなかった。
曲のリリースから約35年の月日が流れ、この国は大きく変化した。
いつか青春の日々を振り返るとき…僕らは何色の街を見るのだろう?




BORO♪大阪で生まれた女♪(1979年)
(シングルバージョン:4番、6番)
https://www.youtube.com/watch?v=VtgtijaaQ7s
(フルバージョン)

今朝のNHK『おはよう日本』にて特集。
シングルは知っていたが、この曲が18番まであることは実は今日初めて知った。
この度、ニューバージョン、19番~21番リリース。

(歌詞:19番~21番)
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-150916-093
まだまだ大阪で生まれた女の物語は終わらない。




(※二人の男と女の物語は1番から16番までで、17番と18番はBOROの人生観を語っている。)
<1番>
放課後のグランドで待ち合わせて帰る
二人を西陽がつつんでいる
生徒手帳の中の写真が
愛を教えていた
大阪の風をうけて歩いた
まだなにも知らなかった
大阪は二人にとって大きすぎて
怯えるようにながめていた
放課後のグランドで待ち合わせて帰る
風にほこりが笑ってた
<2番>
ある日、母が眠った朝
ただとまどっていた二人
すべてがその日から変わりはじめ
男は夢にむかいはじめた
大阪の街を二人で歩き
少し大人を演じていた
大阪の街は二人を見ていた
小さな恋人達を見ていた
ある日、母が眠った朝
小さな男が歩き出した
<3番>
卒業をむかえた3月のある日
二人はもっと愛しはじめ
この愛のくずれることだけが
とても怖かった
大阪でぎこちなく生きていても
夢を見れないと思ってた
大阪を出ることでそれに変わる
夢を手にいれようと思った
卒業をむかえた3月のある日
愛はより深くなった
<4番>
踊り疲れたディスコの帰り
これで青春も終わりかなとつぶやいて
あなたの肩をながめながら
やせたなと思ったら泣けてきた
大阪で生まれた女やさかい
大阪の街 よう捨てん
大阪で生まれた女やさかい
東京へはようついていかん
踊り疲れたディスコの帰り
電信柱にしみついた夜
<5番>
男は夢に立ちむかうけれど
女はまもるものがある
男は壁をのりこえるけれど
女は愛をさがした
大阪で生まれた女やさかい
この街をまもりたい
大阪で生まれた女やさかい
この街で何かをさがしてた
男は夢に立ちむかうけれど
女はまもる愛をみた
<6番>
たどり着いたら一人の部屋
裸電球をつけたげど また消して
あなたの顔を思い出しながら
終わりかなと思ったら泣けてきた
大阪で生まれた女やけど
大阪の街を出よう
大阪で生まれた女やけど
あなたについて行こうと決めた
たどり着いたら一人の部屋
青春に心をふるわせた部屋
<7番>
ひかり32号に乗って東京へと
涙がとめどなく流れつづけた
街をすてることの涙と
止める言葉をふりきる涙
大阪の街をふりかえると
そこにも夢はあった
大阪の街をふりかえると
そこにも愛は確かにあった
ひかり32号に乗って東京へと
二人きりの夢を持って…
<8番>
立教大学の近くの小さな部屋
それが二人の愛のかたまり
夢を追いつづける二人は
現実のすべてを見た
大阪で生まれた女やさかい
負けられへんと思った
大阪で生まれた女やさかい
がんばらなあかんと言いつづけた
立教大学の近くの小さな部屋
何もないけど輝いていた
<9番>
学生達でにぎわうこの街に
似合いもしない二人のくらし
求人広告を目でおいながら
なんとかなるよとつぶやいた
大阪で生まれた女やもん
夢をもたんとよう生きていかん
大阪で生まれた女やもん
負けられへんそれが口ぐせ
学生達でにぎわうこの街に
今夜小雨の空の色
<10番>
今日、西口のロータリーでのもめごと
警官が学生を追いかけてた
生きることに必死の二人には
馬鹿げたことだと思えた
大阪で生まれた女にとって
夕焼け色のビルは喜び
大阪で生まれた女にとって
明日を感じる何かがほしい
今日、西口のロータリーでのもめごと
テールランプに揺れる人影
<11番>
あつい日々を生きてた二人
夢は現実にくずれ去ろうとする
苦しみの中で二人の愛だけが
ただ一つの本当のこと
大阪で生まれた女にとって
喜びはどこにあるのだろう
大阪で生まれた女にとって
悲しみはどこにあるのだろう
あつい日々を生きてた二人
愛しか信じるものはなかった
<12番>
ゆうべ二人の部屋に届いた手紙
つらいメッセージだった
そんな暮らしをはやくやめて
大阪へ帰れと言っている
大阪から飛び出した若い二人は
とまどうばかりだった
大阪から飛び出した若い二人は
この街で怯えていた
ゆうべ届いた手紙に
目をふさぐ二人がいた
<13番>
なすすべもなく眠る人よ
あなたの夢は終りじゃない
現実にくずれ去ることよりも
現実を生きてほしい
大阪で生まれた女が今日
東京を一人 出て行く
大阪で生まれた女が今日
生まれた街へと帰って行く
なすすべもなく眠る人よ
自分をこわさないでほしい
<14番>
扉をあける 扉をしめる
きしむような音がする
心に扉があったら
二人の扉に鍵がかけられた
大阪からの手紙はやがて
色あせた悲しみに変わり
大阪からの手紙はそして
色あせた人生の事実となった
二人には好きな人が出来
やがて大人の扉をあけた
<15番>
やがて愛する子供ができ
あの青春を思い出す
やがて愛する子供ができても
あの日々は消えない
大阪はめまぐるしく変わって行く
時代を創る人達の手で
大阪を変えて行く時代の中で
あなたの噂を聞くことがある
ここで愛する子供が遊んでいる
あの日の思い出にありがとう
<16番>
最後の手紙
夢をつかんだ人へ
すばらしい人生を創る人よ
あなたがくれた日々に乾杯
大阪は今日もあの日のまま
あなたの青春が残っている
大阪は今日も活気にあふれ
またどこからか人が来る
最後の手紙
夢をつかんだ人へおめでとう
大阪で生まれた女より
大阪で生まれた女より
<17番>
すべてをつつむ力があれば
愛は終わらない
たとえばあの太陽のように
すべてをつつめば……
そこに街があり人が住む
そこに川が流れ鳥が舞う
そこに小さなアパートがあり
そこに永久(とわ)の愛があるかも知れない
でもそれを大人達は知らない
<18番>
青春は何かをつかもうとする時
ゆがんだ正義をつかまされもする
それを否定することは出来ない
たとえ小さな過ちでさえも
それは小さな二人の愛のせいではなく
青春そのものが…
ゆれ動く時代