徳川家の呪い・・・? | 話の種(仮)

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◆【新・東京悪所】徳川家が呪い潰すオリンピック!? 新国立競技場が…
(2014.1.23「TOCANA」)
2020年の東京オリンピックに向け、ぼちぼちと準備が進んでいますね。先のオリンピックと同じように、これから東京の街並みも変していくのでしょうか。しかし、いくら表面の風景が変わろうと、その土地に根付いた「因縁」は残ります。そして隠された歴史という因縁が、表の世界に影響を及ぼすことも……。
東京の闇をえぐる「悪所シリーズ」第4弾は、東京オリンピックに向けて建設予定の「新国立競技場」と、その周辺である「千駄ヶ谷」に注目してみましょう。
■新国立競技場の建設を巡って勃発した問題
新国立競技場の建設については、今ちょっとした問題が起きています。
1、まず最終コンペを通ったザハ・ハディドのデザイン案。これが、あまりにも斬新なため建設費がかかり過ぎるとして議論の対象に。東京体育館を設計した槇文彦氏をはじめ、日本の建築家たちもザハ・ハディド案に苦言を呈す。
2、当初は千三百億円だった予定が、三千億円規模との試算が出てしまった。
3、辞任表明前の猪瀬直樹氏が「千五百億円まで縮小できる」と発言するなど迷走。
4、そして周知の通り、猪瀬氏の緊急辞任による都政の混乱、加えて資機材の高騰もあって建設業界も大わらわ……。
オリンピック招致成功の興奮に水をさすように、短期間で様々な問題が浮上しているのです。もはや、この土地そのものが祟られているかのよう……。そう、オカルト好きの僕としては、こうも考えてしまうのです。
「新国立競技場を巡るトラブルは、徳川家の呪いではないか!?」……と。
いきなり狂ったことホザきだしたよコイツ。そう思われた方もいるでしょうが、まあ聞いて下さい。
■新国立競技場と徳川家
国立競技場から道路を挟み、東京体育館のある千駄ヶ谷。実はここ、徳川家のお屋敷があった土地なのです。大政奉還の後、流れ流れた徳川宗家は明治10年に千駄ヶ谷へと移り住みます。江戸時代から紀州徳川家の土地だったという経緯もあるのでしょう。宗家が所有した敷地は十万坪、原宿まで達する広大なものでした。1928年、有名な放火事件によって本館(今の東京体育館がある場所)が全焼しましたが、古地図を見る限り、その後また屋敷は再建されたようです。
しかし1940年、「紀元二千六百年記念行事」の一環で東京オリンピック開催が計画されます。武道館の建設予定地として、徳川宗家の土地は東京都へと譲渡されることに。神武天皇即位から二千六百年を祝う事業のための土地委譲ですから、これもまた徳川家から天皇家への小さな大政奉還と言えますね。もっとも、当時のオリンピク組織委員会長を務めたのが徳川宗家16代当主・徳川家達なので、その辺りの事情が関係しているかもしれません。
結局、戦争のために1940年東京オリンピック、ならびに武道館建設は頓挫しました。しかし、土地そのものは都が所有するまま、1954年には東京体育館の建設、現在に至るという訳です。
そして1964年、ついに東京でのオリンピックが実現します。それに併せて都内のあちこちで突貫工事が行われ、東京の風景は様変わりしていきました。その余波が、ある心霊スポットを生みだしたのです。
■政治介入によって振り回された人々の怨念が…
それはあの「千駄ヶ谷トンネル」。東京体育館・国立競技場がある千駄ヶ谷は、特に工事を急ぐ必要がありました。そこで本来なら迂回するはずの墓地まで、無理に道路を突っ切らせるという羽目に。こうして仙寿院の墓地がある高台下に千駄ヶ谷トンネルが開通したのですが……。その立地は、多くの怪談を生み出しました。
・千駄ヶ谷トンネルの怪談
「走る車のウインドウに手形がつく」「トンネルの天井から女がぶら下がっていた」などの奇怪なウワサが何十年も囁かれ続け、今も千駄ヶ谷トンネルは都内有数の心霊スポットとして知られています。
・ビクタースタジオの怪談
また、隣接するビクタースタジオも数々の怪現象が起こることで有名。謎のうめき声が聞こえる岩崎宏美「万華鏡」も当スタジオで録音されたものですし、あまりの怪異の多さに「スタジオマンは慣れっこになってるよ」と、関係者から聞いたことがあります。
これらは、仙寿院の墓地を疎かにした祟りと言われています。そして、その仙寿院を代々の菩提寺としていたのが、まさに紀州徳川家。ここで再び、東京オリンピックが徳川の土地へと影響を及ぼしたのです。
■新国立競技場の下に、徳川家の遺品が次々と…!?
さらに現在、競技場の工事が遅れている原因の一つが、駐車場予定地にて「遺跡が発掘された」からだそうです。現場では古伊万里の欠片が出てきたようで、調査のために工事が延期されているとの情報も。もしやこの一帯には、徳川家の埋蔵物が埋まっていたりして……そんなロマンも広がりますね。
権力の座を追われた末、土地まで東京都に譲渡させられた徳川宗家。オリンピック整備のため、菩提寺にトンネルを開通させられた紀州徳川家。過去二つの東京オリンピックと徳川家には、数多くの因縁が隠されているのです。
次回オリンピックのメイン会場である新国立競技場にまつわるゴタゴタ。これは明治維新から戦後まで続く「徳川家の恨み」が原因かもしれない……。そんな主張をしてみたくなる根拠、分かってもらえたでしょうか?
ちなみに、紀州徳川家の現当主(19代目)・徳川宜子(ことこ)さんは建築家とのこと。徳川家と東京オリンピックの因縁、そして日本建築界に波紋を呼んでいるザハ・ハディド案、この両面について、是非とも彼女の見解を聞いてみたいものであります。
◆“新国立競技場”は徳川家の呪い? 宗家と東京五輪との意外な関係
(2015.8.7「週刊朝日」)
幻となったザハ案など新国立競技場建設で災いが続出するのは「徳川一族の呪いではないか?」という怪情報がインターネットなどで駆け巡っている。実は徳川宗家(将軍家)と東京五輪には浅からぬ縁がある。
2020年東京五輪の会場となる新国立競技場、東京体育館などがある千駄ケ谷にはその昔、大政奉還で江戸城を出た徳川宗家の広大な屋敷があった。
1940年の、日本で最初の東京五輪開催が決まり、その組織委員会会長に宗家16代当主・徳川家達氏(公爵)が就任した。体育館の建設予定地として宗家の屋敷(約2万坪)、土地が東京市へ譲渡されたが、戦争が泥沼化したため、頓挫。家達氏は40年に失意のうちに死去したとされる。
戦後の56年にその土地に東京体育館が建設され、64年には東京五輪が開催された。このとき、突貫工事が行われ、高台にあった徳川家ゆかりの寺「仙寿院」の墓地の下を通る千駄ケ谷トンネル、オリンピック道路が建設された。
そのため、「徳川家の呪い」怪談が周辺で誕生し、現代でも蘇ったようだ。
宗家の現当主、恒孝(つねなり)氏の長男で19代目となる政治経済評論家の徳川家広氏を直撃した。
「16代は1935年頃から寝たきり状態で、五輪組織委員会会長は完全な名誉職です。中止でがっくりきたとも思えません。千駄ケ谷トンネルの建設の時は、ちゃんと法要をしているはず。それにうちの人たちは皆のんびりしていますから、祟(たた)ったりしませんよ(笑)」





2020年東京オリンピックに向けて様々な動きが進んでいるが、なかなか順調にいかないようで・・・。
新国立競技場については、工費縮減のためデザイン変更・・・
(変更前)

公式エンブレムの盗作騒動・・・


次々騒動が起こるのは、♪妖怪のせいなのね、そうなのね、ではなく、徳川家の呪い、という噂・・・。
徳川家達(とくがわ・いえさと。1863-1940)

徳川将軍家第16代当主にして、公爵、貴族院議長を長く務めた人だが、人生において何度か表舞台に出る機会を逸している・・・。
・江戸幕府第15代将軍(14代家茂逝去時にはまだ幼く、慶喜が15代将軍に就任)
・初代東京市長
・内閣総理大臣(第一次山本権兵衛内閣がシーメンス事件により総辞職した際、元老の中に家達を総理に推す声もあったが、徳川一門の反対に遭い辞退)
しかし、↑の噂はいささか無理があろう・・・。
江戸から東京へ、世界有数の大都市に成長した街・・・代々治め守ってきた徳川将軍がその発展を喜ばないはずがない。
とはいえ、様々な問題が無事に解決し、成功へと向かうように願うのみ。



おまけ。

国立競技場周辺の変遷

(現在:google map)

(2013年航空写真)

(1919年)

(1858年)

(↑中央の「御焰硝蔵」(幕府の火薬庫)辺り→青山練兵場→国立競技場。

左側「井伊掃部頭」(近江彦根35万石)→明治神宮

「内藤駿河」(信濃高遠3万3千石)→新宿御苑

「内藤駿河」の下、「紀伊殿」2か所(紀州徳川家:紀伊和歌山55万石)→徳川公爵邸→東京体育館

右側「紀伊殿」→迎賓館、赤坂御用地

「信濃町」の名前の由来は、中央やや上辺り「永井信濃」(大和櫛羅(奈良県御所市櫛羅)1万石)。江戸時代初頭、初代の永井信濃守尚政の屋敷があったことから地名となった。)