今、高校授業料無償化・・という流れを 国は作ろうとしていますが、立憲民主党は、学ぶ機会を与えたいと強く主張しています。
それだけを見れば、素晴らしい考え方のように見えますが、学ぶ機会と学ぶ意欲とは決して比例しておらず、少子化で私立高校運営は、潤うのかもしれませんが・・それは、授業料の安い狭き門の公立高を目指そうとする子供たちの意欲を低下させて、将来の学力がかなり低下へと繋がるのでは?と思うのです。
授業料を安く、家計を助けようとして、狭き門の公立高校受験に挑戦する子供も数多く存在しています。狭き門でなくりますと、それだけの闘志を燃やして受験勉強を頑張り続けることができますか?
それは、将来の公立高校の学力レベルも引き下げてしまうことに繋がります。
学業における修練とは、目的意欲を取り除くことではないと思いますし、かつての三田佳子的なお金をとにかくばら撒きます子育てをするように・・戒める論点をどこへ行ってしまうの?的な方向性に向かいそうで・・将来、日本という価値が下がりそうで・・とても危惧しております。
以前知事が、私にお話ししてくださった事があります。
高校2年生の時の成績は、中の下。ですが、そんな中、東大への受験に合格すれば、お母さまがギターを購入してくれるとの事で、猛勉強され始めたのだと・・。
あと、家の事情で私立大にだけは行けないと・・。
それらの目的や目標から、ネガティブから生まれない限り生まれてこない、強い長続きする動機が生まれる構図を垣間見ることができます。その中のネガティブに何らかの見返したいの何かがあったのかもしれません。
見返したいは、突き詰めると恨みの波長です。
恨み(うらみ)、もっと深い殺意レベルまで淘汰する意味でになりますと→怨み(うらみ)という文字な切り替わります。
怨みの境地となりましたら、一生、忘れることはありませんし、不思議と鮮明に昨日の事のように覚えているものですし、怨念レベルまで到達してしまう事で、いつまでも、その相手に不幸が訪れ続けることを祈り続ける生涯にも なるものです。
むしろ、相手が 簡単にコロリと死ぬより、永く時間をかけて、針で神経を突かれるように、もがき苦しみ続けて、いわゆる ”ざまあ ”になり続けることを夢見るものなのかもしれません。
それほど、ネガティブ波長は、波長が長く強く、あらゆる動機にも・・見返す為の踏み台にも変えることもできます。
ところが、嬉しいことや人生の中で一番、幸せという体感をした場合、どうでしょう?それは、だんだんと普通に当たり前のようになって、慣れてきて・・もっと、退屈になるものですから、それを長続きさせたいという行動を取ろうとします。←それは、人生の堕落の始まりにも繋がります。
よく売れっ子の水商売の人が、お水の仕事を知れば、普通の仕事がバカらしくて働けないと言われます。
そういうことなのです。水商売の人でも、場末の三流ホステスの方が、人(魂)としては、幸せなのかもしれません。
つまり、人生というのは、最初のきっかけがネガティブであればある方が、その後の人生が大きく飛躍しやすいということです。
なんでもかんでも、物やお金を与えていたら、とんでもない嘘つきモンスターになることは、確定的で、お金が尽きると、暴れて周りが制御できなくなるので、周りをも飢餓の世界に引きずりこもうとします。
なんでもかんでも、与えて、普通か天才になる方は、10%程度の人です。それは、高度な知能(発達障害なし者の場合)でカバーできるからです。
教育というのは、本当に大変です。。
それにしても、私が、総理大臣なら、こんなことも、あんなこともして、国政をすぐに立て直せれるのに・・と やるせない気持ちになります。
今の大仏のようにただ、座っているような印象しかない総理大臣は、何のために存在しているのだろうかと考えてしまいます。
次に生まれ変わりましたら、作家か脚本家も良いなと思いましたが・・政治家を志願して、生まれ変わりたいと思います。