最近、合理的とは?と考えることがあります。

「あつかましさ」という言葉がありますが、立場が変われば、

「あつかましい」と感じることが「合理的」という文字に変わったり・・

逆に「合理的」という言葉は、立場が変われば、「あつかましさ」に変わることがあり・・「あつかましい」と感じる側は、=「醜さ(みにくさ)」=「あさましい」=「みっともない」の私情が湧(わ)いてくるものです。

 

 ですので、どこまでが「合理的」、どこからが「あつかましさ」になるのかの その線引きをするというのは、非常に難しい事のように思えるのです。

それらの微妙さの位置が、たとえ、悪意のない地点の始まりとしても、最初の人間関係の悪化を招くものなのかもしれませんね。

 それを回避させる為にも、人は自分を写す鏡と言われていますが・・より沢山の方と関わることで、アップデートさせなければならないのかもしれませんね。