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鋼の錬金術師って漫画、あるじゃないですか。

あれを一年ぶりに一巻からぶっ通しで読んだんです。

当時は展開に驚いたり結末におおーって思ったりして、正直集中して読めなかった(笑)のですが。
一年ぶりに読むと違う読み方も出来るもので。


例えば素直に読むとエルリック兄弟が失った肉体を取り戻すために戦ううちに国を巻き込む戦乱に巻き込まれるみたいな感じですけど、これってホーエンハイム(兄弟の父親)とフラスコの中の小人の話としても読むことが出来ると思うんですよ。

二人の回想から例えばはじめて、
二人は共に永遠に等しい命を手に入れ、体の中にその分のエネルギーとなる人間を所持している。

この設定がすでにそそる部分でして、
このエネルギー(作中では賢者の石と呼ばれます)って、生きてる人間じゃないとだめなんですよ。
死人はだめ、ということは生きてる人間というよりは生きるために使うエネルギーのことを指していると考えられます。それは体を動かす力、あるいは心を動かす力、恋をする力だったりするかもしれません。それらのエネルギーの大きさのことを、「弱い人間」と繰り返す人造人間達が実は一番よくわかっていて、それを使うことなしでは生きていけないことも自覚しているわけです。

となるとその、生きた人間の入っている土壌は国なのか、というような気がします。もっと小規模でもいいのかもしれませんが。
ホーエンハイムとフラスコの中の小人の共通点として、同じ母体から作った賢者の石を体に入れた、という事実がありますが、その使い方はそれぞれ違いますね。
エネルギーという見立てで言えば使い方が違うという話になりますが、じゃあ人間じゃなくても別にいいじゃんって話になりますよね。
だからここは自分の支配下にある人間をどのように扱ってきたか、という捉え方をしていこうと思います。

フラスコの中の小人は、人間を使って国を作ります。
さらにその国を母体に出来る人間を使って神様を手に入れようとします。
一方でホーエンハイムは、その野望を阻止する目的のために、賢者の石となった人間すべてと対話した、とあります。

自分の中にいる人間を利用するだけだったフラスコの中の小人と、自分の中の人間と対話したホーエンハイム。

そして最後は無残なものとなるフラスコの中の小人。
対して妻の墓前で眠るように亡くなるホーエンハイム。


自分のために自分のためにと動いて人を省みない者は最後は天に見放されるし、
人のためにとは言わなくても人のことを省みることの出来る人は天に迎え入れられる、というような部分を垣間見ることができるようなきがします。

あるいは永遠の時間を、ひたすら自分のために延ばそうとした人はその長い一生の中で世界を見下したり飽きたりして、結果死ぬことだけが異様に怖くつらいものに感じられるとか。
永遠の時間の中で誰かとつながってきたり愛してきたりした人は、愛する人と一緒に死にたいと思う、だとか、或いは今輪に愛する人のことを思い出して人生に納得したりするのかもしれません。


漫画って大人が思ってるほど、浅くはないねという、お話。