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少しずつ頭の整理がつき
最近のことを書けるように
なってきた気がします。
まずはお亡くなりになられた方にお悔やみ申し上げますとともに、被災されたかたにお見舞い申し上げます。
「もう」と言うべきか「まだ」と言うべきかわかりませんが、3週間が経とうとしています。
3週間前のあの日、仕事に関して私にとってはいい意味での特別な日でした。
しかし、世間では当たり前の金曜日の午後であるだろうと疑いもしなかった時、
「娘が地震で新幹線動かんって。変じゃねー。テレビ付けてもいい?」
と同僚の方に言われて、デスクの通路を挟んだ向かいのテレビがつきました。
映画のような光景にただただ動くことができずにいました。
それからどのくらい、テレビがしゃべり続けていたかわかりませんが、真横からダイレクトに入る人々の怯えた声が映像を見ずとも脳にイメージを伝え続けていました。
━ひとりになりたくない…
とギリギリまで仕事をしながら職場にいましたが、交通機関の最終を逃すわけにもいかず帰宅。
だけど、やっぱりこわくなって近所に住んでいる従姉に電話しました。
落ち着くまでの間だけお家にお邪魔させてもらう予定が、結局お泊りまでさせてもらいました。
その次の日から現状や実態を伝えるテレビ、新聞、ネットニュース。
胸が締め付けられるものばかりで、目を背けたくなるものばかり。
自分にできることはないか探しても、募金や支援物資を持っていくことしかできず、ただただ自分の小ささを感じていました。
それでも3月18日に少し笑えている自分。
矛盾、他人事、偽善、無力
わからなくなりました。
そして、3月26日。
ひさしぶりに家族でごはんに行きました。
この時期には毎年行っています。
兄の誕生日が3月28日。
父の誕生日が4月5日。
学生時代の春休みということで、決まって3月最終土曜日には家族揃って外食。
中華王・木村サンのお料理というのも10年近くのお決まりです。
おいしいお料理を食べて、家族が全員揃って、そしていっしょにお家に帰る。
本当に幸せなことです。
何よりも安心感があります。
そして安心しきったのでしょう。
熱がその晩からでました。
38度から9度辺りが3日続きました。
しんどかったけど、そばに家族がついていてくれました。
幸せです。
インフルエンザの疑いもあったので、お仕事は少し長めにお休みをいただきました。
そして今日、やっと37度台になってくれました。
やっとお家を歩き回れるようになり、新聞を読んだりテレビを見たりしてました。
その時、目から涙が出てきました。
震災のニュースを見たときです。
不思議でした。
震災以来、涙は一度も出なかったんです。
どんなに残酷な映像にも、どんなに感動的な話にも、一度も流れてはくれなかった。
━泣けたら少しは楽なのかな。
と思っていました。
━やさしい心をあの日、あの映像のなかに投げ入れてきたのかも。
とも思いました。
周りのみんなが
「涙が出てきた」
「泣きすぎた」
というなか複雑な気持ちでした。
そして、今日やっと出た涙。
何を見ても止まりませんでした。
高校野球、頑張っている人たちの記事、避難所でわらっている子どもたちの映像、カズさんのゴール。
ひとつ、ひとつが心に響いてくれました。
あの日に置いてきてた「心」が返ってきてくれました。
人間、頭だけじゃだめなんです。
心も一緒に持ち歩かなきゃ。
長々と書いて
「だから、何?」
という感じですが…
冷静に真実のみを今までは受け入れていました。
募金や支援物資を送ることなど出来ることもやっていました。
でも、感情的になってもいいのだと今日感じました。
感情的というか感情を込めて受けとめるということです。
今日はやっと、それが出来たように思います。
だから、きっと、これからの行動はもっと身近に感じながら出来る気がします。
それが今、自分にとっては一番やるべきことやと思います。
支離滅裂になってしまってごめんなさい。
ここまで読んでいただいた方には大変感謝いたします。
明日からは普段のブログを書いていこうと思います。
不謹慎かもしれないですが暗くなることばかりが能じゃないと思うので。
がんばろう、日本


最近のことを書けるように
なってきた気がします。
まずはお亡くなりになられた方にお悔やみ申し上げますとともに、被災されたかたにお見舞い申し上げます。
「もう」と言うべきか「まだ」と言うべきかわかりませんが、3週間が経とうとしています。
3週間前のあの日、仕事に関して私にとってはいい意味での特別な日でした。
しかし、世間では当たり前の金曜日の午後であるだろうと疑いもしなかった時、
「娘が地震で新幹線動かんって。変じゃねー。テレビ付けてもいい?」
と同僚の方に言われて、デスクの通路を挟んだ向かいのテレビがつきました。
映画のような光景にただただ動くことができずにいました。
それからどのくらい、テレビがしゃべり続けていたかわかりませんが、真横からダイレクトに入る人々の怯えた声が映像を見ずとも脳にイメージを伝え続けていました。
━ひとりになりたくない…
とギリギリまで仕事をしながら職場にいましたが、交通機関の最終を逃すわけにもいかず帰宅。
だけど、やっぱりこわくなって近所に住んでいる従姉に電話しました。
落ち着くまでの間だけお家にお邪魔させてもらう予定が、結局お泊りまでさせてもらいました。
その次の日から現状や実態を伝えるテレビ、新聞、ネットニュース。
胸が締め付けられるものばかりで、目を背けたくなるものばかり。
自分にできることはないか探しても、募金や支援物資を持っていくことしかできず、ただただ自分の小ささを感じていました。
それでも3月18日に少し笑えている自分。
矛盾、他人事、偽善、無力
わからなくなりました。
そして、3月26日。
ひさしぶりに家族でごはんに行きました。
この時期には毎年行っています。
兄の誕生日が3月28日。
父の誕生日が4月5日。
学生時代の春休みということで、決まって3月最終土曜日には家族揃って外食。
中華王・木村サンのお料理というのも10年近くのお決まりです。
おいしいお料理を食べて、家族が全員揃って、そしていっしょにお家に帰る。
本当に幸せなことです。
何よりも安心感があります。
そして安心しきったのでしょう。
熱がその晩からでました。
38度から9度辺りが3日続きました。
しんどかったけど、そばに家族がついていてくれました。
幸せです。
インフルエンザの疑いもあったので、お仕事は少し長めにお休みをいただきました。
そして今日、やっと37度台になってくれました。
やっとお家を歩き回れるようになり、新聞を読んだりテレビを見たりしてました。
その時、目から涙が出てきました。
震災のニュースを見たときです。
不思議でした。
震災以来、涙は一度も出なかったんです。
どんなに残酷な映像にも、どんなに感動的な話にも、一度も流れてはくれなかった。
━泣けたら少しは楽なのかな。
と思っていました。
━やさしい心をあの日、あの映像のなかに投げ入れてきたのかも。
とも思いました。
周りのみんなが
「涙が出てきた」
「泣きすぎた」
というなか複雑な気持ちでした。
そして、今日やっと出た涙。
何を見ても止まりませんでした。
高校野球、頑張っている人たちの記事、避難所でわらっている子どもたちの映像、カズさんのゴール。
ひとつ、ひとつが心に響いてくれました。
あの日に置いてきてた「心」が返ってきてくれました。
人間、頭だけじゃだめなんです。
心も一緒に持ち歩かなきゃ。
長々と書いて
「だから、何?」
という感じですが…
冷静に真実のみを今までは受け入れていました。
募金や支援物資を送ることなど出来ることもやっていました。
でも、感情的になってもいいのだと今日感じました。
感情的というか感情を込めて受けとめるということです。
今日はやっと、それが出来たように思います。
だから、きっと、これからの行動はもっと身近に感じながら出来る気がします。
それが今、自分にとっては一番やるべきことやと思います。
支離滅裂になってしまってごめんなさい。
ここまで読んでいただいた方には大変感謝いたします。
明日からは普段のブログを書いていこうと思います。
不謹慎かもしれないですが暗くなることばかりが能じゃないと思うので。
がんばろう、日本


