Key-coの軌跡2 | 元小学校教員 カウンセラー&教育支援員のブログ

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カウンセラーであり教育支援員であるkey-co(きいこ)の綴るあれこれ

 

Key-coの軌跡の続き

 

 

 

 

 

 

小学校教諭時代

 

 

大学卒業前

 

教員採用試験を受ける人の

講習会みたいなのがあったんだけど

わたしの友達はほぼ教員採用試験に合格していた。

 

なんでまたわたしだけ置いてけぼりを食らうんだろう。。。

 

大泣きしていたわたしに指導教官が

山本五十六の教えを書いて手渡ししてくれた。

 

 

 

1年間地元の小学校で講師をしたのち

その次の年に無事東京都の教員になる。

 

 

1校目

 

区内、下町の学校。

 

担任紹介が終わって話をするためにクラスごとに集まるんだけど

子どもたちが連絡帳に「サイン書いて~!!」といって

群がってきたのが印象的だった。

 

純粋で愛情に飢えている子どもたちがたくさんいた

まだ新米だったわたしは体当たりで子どもたちに向かっていった。

 

学年最後の日、帰りの会の最中で喧嘩をして飛び出して行った子がいた。

最後だからみんなでお別れをしようと思っていたのに―――

 

探して見つけて、教室で話した。

 

どうせ僕なんかいなければいいんだ!

とジタバタ暴れている子どもに、

机を投げて

 

ここまで待っててくれている友達がいるじゃないか!

 

と叫んだ。

 

残っていたみんなで泣いた


 

またある時は

学校に行きたくないという子どもがいて

朝電話をし、迎えに行くということをしてた時があった。

(学校に行ってしまえば帰りたいとは言わなかった)

 

 

その子と一緒に学校に行く途中

また違う子がおうちの前でぐずっていて

おばあちゃんが途方に暮れているという

 

―いっしょに学校に行こうか?

―うん!!

 

おばあちゃんは安心した感じだった。

あとでものすごくお礼を言ってくれた。

 

 

わたしは夜遅くまで仕事をした。

校務分掌、授業の準備、生活指導

休日出勤&学校に泊まったことが何度もあった。

 

もっと手を抜くところは抜いてもいいのに

加減が分からなかった

 

休みたいんだったら休ませてもよかったのでは?

じぶんたちのエゴかもしれない

 

 

管理職からパワハラを受けてた。

 

通知表の係の字がおかしいと

手書きのものすべてやり直しさせられた。

 

夜の応接室の中で発狂した。

 

子どもたちの前で何度も叱られた。

子どもたちが「先生をいじめないで!」と訴えた

 

喉が悲鳴をあげた。

血栓ができて2回手術した。

 

こころが悲鳴をあげた。

眠ることができない。

 

スクールカウンセラーさんが

それって鬱じゃないですか?

 

といってくれた。

 

喉とこころが悲鳴をあげていたので

4年で異動することになった。

 

 

 

 

2校目

 

市内、田舎の学校

とてものどかで景色がとても良いところだった。

 

1校目に比べると落ち着いた雰囲気のところだった。

受けもった学年がとてもいいクラスだということで

引き受けることになった。

 

優等生がたくさん頭のいい子どもがいた。

逆にできるふりをしている子どももたくさんいた。

 

国語の手紙を書く授業ですばらしい文章を

書いた子どもがいた。

 

わたしはここでは教えることができない

 

自信をなくした。

 

ただ、みんなの前で「ものすごく心のこもった手紙を書いたよ」

 

そう言ってほめてあげればよかったのに――

 

じぶんのプライドが

さらに自分を追い詰めていった。

 

どういう風に授業を進めていいかわからない

クラスはだんだん荒れていった。

 

 

そんな時「わたしみんなにいじめられてるんです」

と訴えてくる子どもがいた。

話を聞いていると「汚い」といわれるようだ

 

学級会で話しあいをしていいか聞いて

いいと言ってくれたのでみんなに話をした。

 

 

子どもが

 

私のことを汚いといわないでほしい。

どうしてそういうの?

 

といった。

 

そうしたらぽつりぽつりと意見が出る

 

髪の毛がボサボサ

顔を洗ってないみたい。口の周りに何かついてる

 

 

じゃあ、それを直したら汚いというのを

やめてくれる?

 

―――――わかった

 

 

次の日、顔を洗って髪の毛を結わえたその子がいた。

 

やればできるじゃん!

ある子が言った。

 

もうだいじょうぶかな?

 

はい。

 

 

 

・・・よかった。

 

 小さい時にいじめられてたじぶんが

いじめは絶対に見逃さないと

おもっていたから

 

 

でも相変わらずわたしは不安で眠れない。

 

お医者さんを紹介してもらって薬をもらっても

いざ寝ようとすると頭の中で

いろいろ考えこんで眠れない。

 

授業は自信がなくてうまくいかない。

 

子どもの方が分かっているから

授業にならない。

 

 

誰にも相談できず悶々とすごす。

 

 

学校でのPTA行事も保護者や子どもたちとなじめず

新採用の先生でも楽しそうに話したりゲームしたりしてたのに

 

わたしだけずっとひとりぼっち。

 

一日中さみしかった。

またここでもひとりなのか。

 

 

 

ある日また、意地悪をされたと訴えてきた子どもがいた。

いろいろ話を聞こうとしてもこころを開いてないから

どうにもならない。

 

意地悪をしているという子どもに話を聞いた。

聞き方が悪かったのか、先生は僕の見方じゃないと言ってくる

次の日、保護者が手紙を書いてくる。

 

いろいろしてもどうにもならなくて、教務に相談する。

 

これは、校長と教務と保護者会ですね。

 

わたし抜きでの保護者会があった。

 

 

 

算数の研究授業があり引き受けたけど

夜遅くまで気を張り詰めてやっていたのが

教務と前日準備をしている最中に

目の前が白くなって倒れる。

 

 

きょうせい しゅうりょう

 

 

研究授業の日の朝

起きることができない。

 

教務に授業を任せることになった。

 

 

 

その次の日から学校に行けなくなった。

 

 

休みの日に教務とクラスのデザインを

がらりと変えて、引き渡すことにした。

 

小学校での4年9か月が終わった。

 

 

 

 

プータロー時代

 

引っ越しをして、以前から興味のあった

保育士資格を取るために勉強をすることにした

 

大学の混声合唱部のOGとして

うたをうたった。

 

保育士試験は一発合格

 

ゼミの先生の紹介で保育園のパート勤務を

させてもらうことになる。

 

 

保育士時代~1

 

4時間までしか働けないので

午前と午後の2つの保育園を掛け持ちする。

 

子どもの面倒を見たり、食事の配膳をしたり

消毒をしたりするのが主な仕事。

 

午後パートの布おむつを洗うのが楽しかった。

うんちがついてるおむつは最高!

 

もっとたくさん東京にいたかったけど

金銭的理由で実家に帰ることとなる。

 

保育園での1年と7か月が終わった。

 

  


つづくニコニコ