ジョージ・ウォレス 〜数奇な人生〜 | the way i feel 日記

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おはようございます。


春風にのって

ほのかな

花の香りが漂う…この季節

皆さま、

いかがお過ごしでしょうか。











大空を羽ばたく鳥たちよ聞いておくれ

空に輝くお天道さまにも

この気持ちを

どーか、伝えたい

優しくそよぐ風にも伝えたい

とにかく…

最高に満ち足りた気分なんだ



一夜明け

太陽は昇り 朝が訪れ

新しい人生が幕を開ける

自分(あなた)だけの人生の1ページが

この上なく幸福に満ち溢れているよ



空を泳ぐ魚たちも聞いてほしい

この気持ち

あてなく流れる川にも聞かせたい

木々の梢に咲く

花たちにも聞かせたい

もう…最高に満ち足りた気分なんだと



一夜明け

太陽が昇り 朝が訪れ

新しいドラマが幕を開ける

自分(あなた)だけの人生が

もう…この上なく幸福に満ち足りてるよ



陽射しの中を飛び交うトンボたち

この気持ちが分かるだろう

楽しげに舞う蝶にも伝えたい

夜の帳が下り

なにも心配するコトなく

深い眠りに就けるよ

とにかく…

それがとっても嬉しいんだ



これまでの混沌とした世の中が

すっかり一変し

新たなる世界へと生まれ変わる

世界は自身(あなた)の手の中にある



夜空に輝く満天の星たちよ

この気持ちを

どーか、分かっておくれ

松の木々から漂う香りにも伝えたい

ついに…

自由を手にするコトができたんだ

それを今、実感している





本日は、

Nina Simone

1985年のヒットナンバーから


『Feeling Good』を


お届け致しました。











本日は、

先週に引き続き


過激な政治思想を展開し

良くも〜悪くも

当時、お茶の間を存分に賑わした


アラバマ州知事

ジョージ・ウォレス氏の

半生に着目し


ありとあらゆる

角度から

検証して参りたいと存じます。



1958年、

ジョージ・ウォレス氏(当時:39歳)は


初めて〜

アラバマ州知事に

立候補し

全米国人地位向上委員会の

支持を獲得。

当初は〜

(意外にも)

生粋の穏健派として


選挙戦に臨まれたモノの…


結果は振るわず

あっさり

敗退してしまいます。



▽ 穏健派とは…

強行手段は用いず

ありとあらゆる

物事に対し

可能〜な限り

穏便に

解決しよーとされる立場の方を指します。











そして、

1962年

2度目の州知事選におかれましては


前回の反省点を存分に踏まえ



有権者のハートを

ガッチリと

鷲掴みすべく

過激なパフォーマーとしての

キャラクター作りに

余念がありません。


そして、

しっかりとした

持ちネタを

仕立ての良いスーツの内ポケットに

そっと…

忍ばせ


準備万端〜

再起動を果たすべく


軽快な出囃子が炸裂する瞬間を

イメージしながらも


比較的…

行儀良く

舞台袖にて

待機されてらっしゃる模様です。


とにもかくにも


今ココに〜

選挙戦という名の火蓋が

切って落とされ


人種隔離政策や

労働に対する権利拡大を

力強く…

訴えたコトが

功を奏し


絶大なるインパクトで


他の候補者たちを大きく引き離し

見事!圧勝〜

この春

アラバマ州知事に

任命される運びとなるのです。











ちなみに…


ちょーど、その頃

ウォレス知事が

声高に掲げたスローガン…


それこそが


(良い〜悪いは別にし)


「今ココで人種隔離政策を!

明日も人種隔離を!

永遠に…人種隔離を!」であり


このとき

選挙戦に勝利を収める…という

成功体験が

引き金となり


過剰なアドレナリンが脳内に分泌…











ジョージ・ウォレス氏の

血となり

肉となり

政治哲学の基軸へと

覚醒的に

目覚めていかれたのかもしれません。


まった、分かりませんが (−_−;)



そして、

運命の歯車は

ゆっくりと…

回り始め

(良い〜悪いは別にし)

彼のその後の人生を

大きく〜

狂わせていったのかもしれません。







※ 扉の前に立ちはだかるウォレス氏。





とにもかくにも


1963年、

ウォレス知事は

2人の黒人のアラバマ大入学を

断固〜

阻止すべく


自ら大学の正門前に立ちはだかります。


そして、

1965年には

アラバマ州

セルマから始まった


マーティーン・ルーサー・キング牧師率いる


公民権運動の

平和的なデモ行進


「セルマの大行進」に対し


ありとあらゆる

手段を講じて

停止させると発表。


民衆が

催眠ガスなどを発射し

65人が

負傷したとされる


「血の日曜日事件」へと

発展するコトとなるのです。


▽ 「血の日曜日事件」とは…


525〜600名ほどの

公民権活動家たちが


セルマを出発し…


この当時、

この地で生活される黒人の

大凡…

半数以上の方々が

差別と

不当なる迫害を受け


有権者登録の資格を剥奪されており


それに抗議すべく

デモ行進を展開しよーとした


その矢先…


ウォレス知事は

今回のデモが

公共の秩序を乱す暴挙であると

懸念を表明。


そして、

1965年3月7日…


州兵や、ダラス保安官たちが

固唾を飲んで

デモ隊を

待ち構える中


彼らは

無抵抗なデモ隊に対し

棍棒や

催涙ガス、

鞭などを用いて


容赦のない暴君っぷりを炸裂するのです。


重軽傷を負い

悲鳴をあげながらも

逃げ惑う

血まみれのデモ隊の姿が

リアルタイムにて

全米〜の

お茶の間へと映し出されると


それら衝撃映像が…


驚くほどのハイ・スピードにて

世界196の

国と地域に


拡散されてゆくコトとなるのです。











なにはともあれ


あまりに…

凄惨極まりない映像に

街の声は


嫌悪感並びに〜不快感を露わにし


(良くも〜悪くも)


当時…

ありとあらゆる

“論争” という名の

春一番が

全世界〜にて吹き荒れた模様です。


それにしても

事実は小説よりも奇なりとは

まさに〜

このコトであり


ウォレス知事が

当初〜

描いていた

自身の思惑…

人種隔離政策を滞りなく遂行し

成功を収める結果には

まったく

結びつかず


一方〜の街の声は…


有色人種の投票憲法の成立並びに

公民権運動の

さらなる〜

発展と、

飛躍を願う声が

徐々に高まり出し…


アラバマ州、チャンピオンズリーグ

グループステージ


キング牧師 VS ウォレス戦において


ウォレス氏

歴史に名を残す

まさかの〜

オウンゴールが

炸裂してしまった模様です ( ̄O ̄; )











そしてそして


1966年、

州知事の再選が

法で禁じられているコトにより


ウォレス氏は

自身の代役として

妻を候補者に任命、

滞りなく

再選を果たし

事実上〜

州知事として残留を図ります。



しかしながら、

奥さまは

ほどなくして

癌を患い

惜しまれつつも

帰らぬ人となってしまわれるのです。












その後、

ウォレス氏は

1972年に

三度〜

大統領選に出馬するモノの


大統領選遊説中の5月15日…


メリーランド州

ローレルの

ショッピングセンターに立ち寄った

ウォレス氏は


多くの支持者に

囲まれる最中

アーサー・ブレマーという

人物の手によって

銃撃され

生涯…

半身不随の身となってしまいます。


そして…

民主党からの指名も獲得できずに

敗退。


ちなみに

ブレマーの犯行動機は

政治的な意図など

まったく

関係なく

後に…


「有名人であれば誰でもよかった。」と


供述している模様です。


とにもかくにも


銃撃事件から

実に…10年もの月日は流れ


いつしか

ウォレスの乾いた心に

小さな…

新緑の芽が

ひょっこりと

顔を覗かせると

次第に

人情に厚い一面が

ちらほら〜

垣間見られるよーになるのです。











そして、1982年

州知事戦での

ウォレス氏は

これまでの言動を訂正し


謙虚な気持ちで

自らの誤りを認めるよーになります。


それにより

黒人支持層も

少しずつ…


彼の元へと集まるよーになり


原点へと立ち還り

州知事選への

意欲を滲ませ


人生の再スタートを切られるコトに。


久しぶりに知事職に返り咲いた

ウォレス氏は


自らの公約通り


黒人を州政府に投与し

その後は

4期連続

実に…

16年間に渡り

自らの職務を

まっとうするコトとなるのです ( ̄ー ̄)


そして、

晩年のウォレス氏は


パーキンソン病を患い


銃撃の後遺症による

車椅子での

過酷な闘病生活を

余儀なくされたコトが

キッカケとなったかどーかは

私自身、

まったく

知る由もございませんが


(良い〜悪いは別にし)


信仰心に目覚められた模様です。


そして…

かつて、あれホドまでに

嫌悪していた

黒人たちが

自身の身を案じ

救いの手を差し伸べて下さる

気配りと

思いやりに

そっと…

触れたコトによって


すっかり、心が洗われ〜


1995年、

御年75歳となられた

ウォレス氏は


「血の日曜日事件」の

記念式典に


自らの病をおして

参列されるコトとなります。


「この場をお借りし

知事時代の

人種隔離政策が、

不当であったコトを表明致します。

そして…

本日、お集まりいただきました

列席者の皆さま方には

謹んで…

お詫び申し上げます。」と、


深々…と一礼し


年老いた黒人指導者たちと

手を取り合い


よーーーやく


30年モノ時を経て

和解の扉が

ゆっくりと…

開かれた模様です (T_T)











そして3年後の

1998年…


ジョージ・ウォレス氏永眠。


享年79歳。



ー The End ー











とまぁ…

このよーな物語なのですが


政治の世界は

まさに〜

エンターテイメント一色であり


皆が皆一様に

他の候補者たちを

出し抜き


着実に…


一歩リードできるか否かが

最大の焦点となるが故に〜


“邪” な言葉を拝借すれば


(良い〜悪いは別にし)


政治家 = 策略家集団といっても

決して〜

過言ではないかも…です。


そして、40代前半のウォレス氏も


有権者たちのハートを

ガッチリと

掴むべく

あの手〜この手で

さまざまな技を

展開し


知事職に就かれたまでは良かったモノの


男性としては

ちょーど、

年齢的に

脂の乗った40代という…


男盛りという副作用も相まって


地域住民の幸福の実現を

願う気持ちよりも


自らの野心を

タプタプに

満たすコトのみに心奪われた結果…


「血の日曜日」なる惨劇を


生み出してしまったのかもしれません。












とにもかくにも


初めて〜

アラバマ州知事に

立候補し

全米国人地位向上委員会の

支持を獲得した

(都会の絵の具に

まだ、染まりきっていない

ピュアな)時代の


ジョージ・ウォレス氏は


生粋の恩恵派だったコトからも


もともとは…


筋金入りの

人種差別主義者というワケでは

きっと…

なかったハズであり


1960年代の

アメリカ南部…という

土壌が

一人のモンスターを

創り上げてしまったのかもしれません。


まったく、分かりませんが (−_−;)



よって、

ジョージ・ウォレス氏が

(もし仮に)

当時〜の

アラバマの地に

白人としてではなく

黒人として

生を授かったのであれば


ひょっとしたら〜

ひょっとして

キング牧師率いる

公民権運動のメンバーに

加入されていたかもしれませんし…


政治や社会情勢に

興味を抱く

精悍なる若者として

立ち振る舞ってらっしゃったかも…と

思うと


人それぞれ

人生の行方は

容姿や、性別、人種や、宗教

お国柄や、

風土

地域性

その時代を彩る

価値基準によって


自らの信念や

アイデンティティ(主体性)も

大きく〜

一変してしまうのではないでしょうか。












あとは、

えーーーーっと


ダライ・ラマ14世曰く


子供は簡単に仲良くなります。

一度、いっしょに笑えば

もう友だちです。

相手の仕事や人種を問うコトもありません。


大切なのは

相手も

私たち同様〜

人間であるコトを知り

互いに

絆を結ぶというコトです。





そして、

これはあくまで

私個人的意見に過ぎませんが

大人のケンカが

長期化する

一番の原因は

人それぞれ

自我が確立しているうえに

自身の

アイデンティティや

今日まで歩んでこられた

人生までも

完全否定された気分(錯覚)に

陥ってしまうが故に


どーーーしても


素直になれなくて


人によっては

過度なプライドが

邪魔をし


長期化してしまうのではなかろーかと…


自らの半生を省みる

今日この頃なのです(−_−;)





※ インターネットに掲載された記事を

ところどころ

引用させていただきました m(__)m