真夜中に義妹から、義母が亡くなったと連絡を受け
翌朝、夫と、義母が生まれ育ち、一生を過ごし
もちろん夫も生まれ育った街へ帰った。


夫にとっては「帰った」がしっくりくる場所

私にとっては「夫の実家」のある街だけど
義父母が介護付きマンションに入った時
将来実家に戻る予定のない長男である夫は
実家を売却した。
(義妹家族には結婚当初に義父母が家を建ててあげていた)


その時、義父母は義妹の家が近いからという理由で
そのマンションを選んだ。


なのに


義父母が元気な頃も
そして加齢によるさまざまな問題が出てきてからも
義妹はそのマンションを訪ねることは
ほとんどなかった…


月一回の投薬のための通院にも付き添うことはなく
義父が数年前に亡くなる1〜2年前から
亡くなった後は義母の通院のため
私が毎月自宅から電車で4時間
または夫の赴任先から飛行機などを乗り継いで4〜5時間かけてコロナ前までかれこれ8年近く
通っていた…


義父母と義妹との間に何があったのかは
まったくわからない。

でも、義母は特に独りになってからは
毎月訪ねていく私に
「どうして○○(義妹)はここに来ないの❓
すぐ近くなのに」
といつも何度も聞いていた。


それはそうだろう。


離れて仕事をする長男(私の夫)は頼れないけど
近くの娘(義妹)を頼ろうと
家も建ててあげたのに
いざ頼りたい時になったら
娘はまったく寄り付かないなんて
親としては悲し過ぎるし
納得もできないだろう…


特に義母はいつも明るく賑やかな性格で
介護付きマンションに独りでいることは
耐えられなかったと思う。


そして義母はずっと仕事もし
地域の活動にも積極的に中心的立場で活動していたこともあり、「介護施設の入居者」という立場にいることも耐え難かったし、
ほかの入居者とも距離を置きたがっていたので
ますます精神的には完全に「独り」だった…


私は
自宅
夫の赴任先
夫の義父母のマンションを毎月行き来する生活

特に義父の介護の時は
月一度、3〜4日と言えども
いろんな意味でなかなかに大変だった…

そしてちょうどその頃すでに
夫の不倫が始まっていたわけで
不倫のお花畑から現実の生活(実際に同居はしていないが次々浮上する介護に関する様々な問題や徐々に壊れていく両親の身体的精神的問題)に引き戻された時のギャップが
あまりにも大きかったのか
夫の私に対する苛立ちからの風当たりは
散々なものだった…


義父母と一緒に生活はしていなかったけど
私なりにできることはしていたつもり


それに夫は
私の親のことはほとんど意識の中になかったし
私の親の最期の時も、離れていて仕方なかったけど
葬儀に出る以外、一切何も関与することはなかった。


義父の介護の時には夫は
口は出すけど手は一切出さず
を貫いていたのに
私のやることがいちいち気に入らないようだった。


その時の夫は今思うと
完全に常軌を逸した思考しかできなくなっていたと思う。


私に対して本当に信じられないほど冷酷だった。


義父母(夫にとっては両親)の最後の時間を
少しでも快適に、穏やかな気持ちで過ごせるように
夫婦で協力するものだと思っていたけど
夫は仕事を口実に
口は出して決定権も自分が持ちながらも
すべてを私に丸投げで実際動くのは私

そしてそれが自分の思い通り行かないと
私を「何もできない」と人格否定


そして数年前の義父の葬儀の時
亡くなってから1週間後に葬儀を行うと
夫が決めた。

冬だったとは言え
1週間も遺体をそのままに葬儀を引き伸ばした。

夫の仕事のために。

いや、実際には仕事は4日ほどで終わったのに
夫は1週間、赴任先から帰って来なかった…


そして高齢の義母は「疲れたから」と言い
義妹は「仕事(自宅で趣味の延長的なこと)があるから」と
義父の亡骸に一日中寄り添って
地元の名士(夫いわく)だっただけに
次々と訪れる弔問客(葬儀前にも関わらず)の接待を
誰が誰やらわからないまましていたのは
私1人…


訪れた親戚に
「えっ⁉️Mさん1人なの⁉️
☆☆さん(義母)や○○ちゃんは具合でも悪いの⁉️」
と心配された…


いえいえ、そんなことはありません

とは言えず
「えぇ、、、まぁ、、、」
とそっと視線を落とすしかなかった
苦過ぎる思い出…


それにしても
葬儀を1週間も延ばすって…滝汗滝汗滝汗





この雲も不思議…