ことば経済学
以前、このブログで「通貨とは言語である。」
と書きました。通貨は数字で表現されるのに
物理法則には従わないし、算数や四則計算
が通用しません。その理由は言語だからです。
通貨言語は「約束事」であり、また「評価」でも
あります。まだ、稼いでいないお金を未来から
借り入れることができ、売れていない商品を
売れたことにもでき、ゴミの山が突然、価値を
持つように、0円が100万$に跳ね上がる事
が日常茶飯事だからです。
ことばを足し算、引き算できないように
「数字の顔をしたことば」である通貨は
算術には適していなかったのです。
有名であれば、知事にも大臣にもなれる社会
タレント議員候補の数と、
二世・三世議員の数は、
日本政治の成熟度という
より、人を信用しないという
日本人独特のメンタリティが
そこに隠されています。
「どこの馬の骨かわからない」
という表現に見られる猜疑心。
この背景には
「人を見たら泥棒と思え」
「渡る世間は鬼ばかり」に
表れる日本人の疑心暗鬼
があります。
かの聖徳太子ですら、
17条憲法第一条に「和」
を持ってこざるを得なかった、
お互いを信用することのできない
「隙あらば」
「生き馬の目を抜く」
競争社会が
日本のGDPを押し上げて
来たのですが、同時に
この日本人の性質は、
血縁主義をベースにした
封建主義に近似した政治を
作り出してしまっていたのです。