歌を忘れたカナリヤ
「外交というものは水鳥の足かきに似ている」
デュッセルドルフに住んでいたころ、生前の父
が家にある池で静かに浮いている水鳥を指し
て、そう言っていたのを覚えています。
鴨や白鳥は、何食わぬ顔で池に浮かんでいる
様に見えるが、水中では一生懸命、弛まなく、
足かきをしている。外交とは、そんなものだ。
そんな父の言葉を思い出してしまう外務省の
体たらくぶりは目を覆うばかり...。まさしく、
足かきをやめた水鳥。歌を忘れたカナリヤ状態。
国民の知らない、わからないところで、国民の
ために尽す、それが公僕の本来の姿であり、
納税者から受託した聖職の姿なのであります。
国家は外交、防衛の場面において国民を巻き
込んではならない。国民は最後のラインの後ろ
にいるものなのです。
外交も防衛も暗闘です。しかし、事務方だけで
無理がある、だから日本には族議員や取り巻き
がおり、アメリカにはCIAがいるわけです。