溺愛という名の虐待
たんぽぽの種は、まるで家族のように、
寄り添っていますが、ちょっと息を吹き
かけただけで、綿毛の落下傘によって
それぞれがバラバラに飛んでいきます。
種はできるだけ遠くへ飛ぶことで種の
繁栄を広範囲に広げることができます。
このようにできるだけ兄弟姉妹がバラ
バラになることは、生物多様性の原理
に適っており、種の繁栄の理に適って
いるのです。
驚くべきことに日本ではこうした生物学
上の概念が昔から浸透していたのです。
「兄弟は他人の始まり」
「夫婦は赤の他人」
「カワイイ子には旅をさせよ」
むしろ、今もある、どこかの国のように
「将軍様の元、一丸となって国を守る」
「我々はお互いを慈しみ、国を愛してる」
などと抑圧的になるのは、家族であれ、
国家であれ、極めて不健全な状況で、
「私たちはとても仲のいい家族」などと
主張する家族ほど、それが脆弱で壊れ
易いことを指し示しています。その証拠
に、そうした家族に不幸が訪れてしまう
と途端に相続問題等が勃発しモメます。
「私たち仲いいの」などと唱え続けなけ
ればならのは、それだけバラバラになり
易いから抑圧をかけていたに過ぎない
わけです。
生物学上も心理学上も最も危険な家族
の行為は「溺愛という名の虐待」です。
溺愛と虐待はあたかも両極端のように
見えますが、そこには強い抑圧がかけ
られるため本質的には同じものなのです。
男女とも「マザコン」は溺愛という抑圧に
よって形成されるのです。